■CALENDAR■
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<前月 2024年04月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■OTHER■
左のCATEGORIES欄の該当部分をクリックすると、カテゴリー毎に、広津もと子の見解を見ることができます。また、ARCHIVESの見たい月をクリックすると、その月のカレンダーが一番上に出てきますので、その日付をクリックすると、見たい日の記録が出てきます。ただし、投稿のなかった日付は、クリックすることができないようになっています。

2013.7.13 脱原発と変わりの産業振興こそ、原発立地地域の住民の望むところである。
   
                   東京新聞より

 左の原発のカテゴリーをクリックすると、私は、2011年7月からフクイチ関連の記事や原発に関する意見を記載しており、責任を持って考えれば脱原発しかないことを、代替電源とともに詳細に説明している。

 しかし、*2の日経新聞の記事は、未だに「原発が止まったままでは経済への悪影響が大きい」「自民党には新基準施行を受けた次の手立て(原発立地地域への金のバラマキによる説得)を問いたい」「原発の代替として、太陽光などの自然エネルギーでどこまで肩代わりできるのか、そのために家庭や企業の負担はどのくらい増すのか」など、原発が安価で安定した電源であるため、それを動かすことこそが政治の責任だという経済産業省の論理を掲載している。

 また、*2において、日経新聞は、「原子力規制委員会が直下に活断層があると断定した原発について、廃炉の判断を電力会社任せにするのか。原発を国策民営で進めてきた以上、国が廃炉の手順を示すべきだ。使用済み核燃料の再処理や、プルトニウムを原発で燃やす計画をどうするのかも説明不足だ」としているが、これまでのことはともかく、今後の稼働については、リスクの大きさから、声を枯らして脱原発を叫んでいる人々の税金を原発に投入することは、許されない。その点、*1の朝日新聞社説は、事実を直視しており妥当である。

 前に東京新聞が掲載した上の図に示されているように、使用済み核燃料プールの空きスペースは、玄海原発は6年分未満であり、近くに活断層もある。また、フクイチのような事故が起きれば、北西の風によって九州の半分がひどく汚染されることを考えれば、今後は、最終処分場を選定し、近隣が放射能で汚染されないように注意しながら廃炉にすることこそ、国の重要な責任であろう。

 原発を手じまうにあたっては、*4の脱原発基本法案に近いものを成立させるのが、立地地域の住民が心から望むところである。何故なら、「国は、脱原発を実現するに当たって原子力発電所が立地している地域及びその周辺地域における雇用状況の悪化等の問題が生じないよう、エネルギー産業における雇用機会の拡大のための措置を含め、十分な雇用対策を講ずる責務を有する」としており、原発立地地域の住民も、本当は、*3のように、原発のような危険施設ではなく、他の産業を誘致して地域振興したいと思っている人が多数だからである。佐賀県議会は、鹿児島県・新潟県などの他の原発立地地域と連携して、*4を土台にして、脱原発基本法のモデル案を作成してはどうだろうか。

*1:http://digital.asahi.com/articles/TKY201307120501.html?ref=comkiji_redirect
(朝日新聞社説 2013.7.13) 原発政策 自民党は「現実」を見よ
 原発再稼働の是非を聞かれれば「反対」と答える人が多い。今月8日には新しい規制基準が施行され、3・11後の原発政策は新たな局面を迎えた。なのに、参院選で原発をめぐる論戦はいまひとつ盛り上がりを欠く。なぜか。原因のひとつは、優勢が伝えられる自民党が巧みに争点化を避けていることにあるのではないか。安倍首相は再稼働に意欲を示す一方で、「原発の比率を下げていくのは基本的な方針」とも語ってみせる。とりわけアベノミクスの推進を前面に押し出す戦術だ。有権者の一番の関心が景気と雇用にあることから、原発についても経済浮揚に欠かせないインフラだと位置づける。エアコンに頼りがちな猛暑の夏、「原発は安くて安定した電源」との説明は、電力不足や電気料金が心配な人々へのアピールなのだろう。だが、「安くて安定」はもはや色あせた言い回しだ。脱原発を訴える野党は、その矛盾をあぶりださなければならない。
 新しい基準によって、原発の再稼働には多額の安全投資が必要になった。廃炉にしなければならない原発も出てくる。もちろん、火力発電などで代替していけば目先の燃料費負担が増えるのは事実だ。しかし、原発は使用済み燃料や放射性廃棄物について、処分の方法や場所のめども立っていない。これら先送りしたコストや事故の際の損害賠償を考えれば、原発の経済的な優位性はすでに崩れている。「安定」神話も幻だ。放射能汚染の恐ろしさや電力会社の隠蔽(いんぺい)体質を目の当たりにして、日本人は原発の運転に極めて慎重になった。今後は小さなトラブルにも徹底検証を求めていくだろう。原発は長期にわたり停止しかねない。1基の不具合をきっかけに全基を止めて再点検、という事例も増える。諸外国に比べてただでさえ低い原発の稼働率は、さらに下がる。原発はますます不安定な電源になった。
 脱原発が非現実的なのではなく、3・11以前には戻れないことこそが現実である。そうである以上、原発を減らすための政策を総合的に進めることが政権党のつとめだ。代替電源の確保と省エネ化を進め、廃棄物処分など後始末の問題や立地自治体の支援に取り組む。当面の国民負担を最小化する策を講じる。やるべきことは山ほどある。求められるのは現実を直視する政治である。

*2:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20130713&ng=DGKDZO57312950T10C13A7EA1000 (日経新聞社説 2013.7.13) 責任と説得力あるエネルギー論議を
 参院選では原子力発電をめぐり与野党の対立が鮮明だ。自民党は成長戦略の柱に原発の再稼働を据える一方、野党各党は目標時期の違いこそあれ「原発ゼロをめざす」と公約した。私たちは原発に賛成か反対かという単純な二者択一では、エネルギー問題の解決策は見いだせないと訴えてきた。選挙戦で原発論議がいまひとつ盛り上がりに欠けるのは、有権者の多くが同じ思いを抱いているからではないか。福島第1原発事故が起き、これから原発への依存度が下がるのは避けられない。重要なのは安全性や経済性に照らして原発をどう選別するか、電力の供給不安を拭うため自然エネルギーや省エネをどのように拡大するかだ。各党はそれらの具体策を競うべきだ。
 原発の新しい規制基準が施行され、「安全と確認された原発を再稼働させる」ことでは、与党のほか民主党なども一致している。大半の原発が止まったままでは経済への悪影響が大きい。審査に合格した原発は、地元の理解を得られるよう国が努めるのは当然だ。自民党には新基準施行を受けた次の手立てを問いたい。原子力規制委員会が直下に活断層があると断定した原発について、廃炉の判断を電力会社任せにするのか。原発を国策民営で進めてきた以上、国が廃炉の手順を示すべきだ。使用済み核燃料の再処理や、プルトニウムを原発で燃やす計画をどうするのかも説明不足だ。連立を組む公明党が「可能な限り速やかに原発ゼロをめざす」と訴えているのに配慮してなのか、自民党は原発政策について踏み込んだ言及を避けている。政権政党として、それでは困る。
 野党も責任ある政策を示してほしい。民主党は政権時代と同様、「2030年代に原発ゼロをめざす」と訴え、みんなの党や日本維新の会もそれぞれ20年代、30年代の脱原発を唱えている。だが原発の代替として、太陽光などの自然エネルギーでどこまで肩代わりできるのか、そのために家庭や企業の負担はどのくらい増すのか。根拠に基づき説得力のある政策を各党から聞きたい。原発の位置づけがどうであれ、使用済み核燃料から生じた放射能の高い廃棄物の処分場選びは待ったなしだ。政治の責任として各党が処分の道筋を示すときだ。

*3:http://www.saga-s.co.jp/news/genkai_pluthermal.0.2506121.article.html
(佐賀新聞 2013年7月11日) 核燃料処理、運転の課題 九電と反原発団体
 九州電力は10日、玄海原発が立地する東松浦郡玄海町や隣接する唐津市の反原発団体と意見交換し、使用済み核燃料の再処理や最終処分方法が決まっていないことについて、運転継続の課題になるとの認識を示した。玄海原発の池上浩二環境広報担当課長が、使用済み核燃料を搬出している青森県六ケ所村の再処理工場が未完成なことなどを挙げ、「核燃料サイクルが動かなければ運転継続は厳しい。再稼働したとしても課題として残る」と述べた。新規制基準に基づく安全対策では「福島原発事故の原因究明はまだだが、全電源喪失の教訓を取り入れている。安全確保に責任を持つ」と強調。玄海1、2号機の再稼働にもあらためて意欲を示す一方、廃炉や放射性廃棄物処分の安全確保については考えを明確にしなかった。12日にも安全審査を申請する3、4号機が再稼働となった場合、住民への説明会については「考えていない」とした。

*4:http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18001039.htm
第一八〇回  衆第三九号  脱原発基本法案
 東日本大震災における原子力発電所の事故から学び取るべきものは何か。世界で唯一の原子爆弾の被爆国でありながら、虚構の安全神話の下で推進してきた我が国の電力政策の見直しが、その重要な課題であることは論をまたない。原子力発電は、潜在的な危険性の高さにおいても、放射性廃棄物の処理においても、信頼性及び安全性が確保されたエネルギーではない。一旦事故が起これば幾多の人々が故郷を追われ、働く場を失い、家族を引き裂かれるのみならず、周辺地域や国民経済に与える甚大な被害や人々の不安と恐怖を考えれば、むしろエネルギーとして、極めて脆(ぜい)弱なものであった。原子力発電所において重大な事故が発生した場合に被害を受けるのは、原子力発電の利益を享受している現在の世代の人間にとどまらない。将来の世代の人間も、その事故に起因する数々の危険にさらされる。また、事故が発生しなくても、いまだに放射性廃棄物の最終処理の道筋が確立しておらず、仮に確立できたとしても、十万年以上の長い管理が必要とされる。原子力発電所の事故がもたらす重大な影響を知った我々は、今こそ「脱原発」の意思決定をする責務がある。
 一方、今後の我が国は、低炭素社会を目指すとともに経済の活力を維持することが不可欠である。省エネルギーを一層推進すること、再生可能エネルギー電気を普及させること、発電方式等を高効率化すること、エネルギーの地産地消を促進すること等と併せ、原発立地地域の経済雇用対策も重要である。このような状況に鑑み、原子力発電を利用しなくなることに伴う各般の課題への適確な対応を図りつつ、原子力発電を利用せずに電気を安定的に供給する体制を早期に確立することは緊要な課題である。ここに、我々は、国家として「脱原発」を明確にし、その確実な実現を図るため、この法律を制定する。

続き▽
| 原発::2013.7~9 | 12:12 PM | comments (x) | trackback (x) |

PAGE TOP ↑