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2014.9.14 朝日新聞の「命令違反し撤退」という記事が事実に反していたからと言って、原発再稼働を推進してよいことにはならない - メディア、東電、政府の対応で本当に欠けているものは、意思に反して被曝させられてきた被害者の視点である (2014年9月14日に追加あり)
     
2014.9.12日経新聞より        2014.9.11西日本新聞より
(*但し、3号機は本当は水素爆発ではない)

(1)吉田調書をめぐる朝日新聞の報道について 
 *1-1のように、朝日新聞は、「命令違反し撤退」と吉田調書を大きく報道した記事を取り消した。同時に、慰安婦を巡る記事も取り消しているが、私は、ここでは、事故後毎日、東電の記者会見に出席していた日隅弁護士(元産経新聞記者、このブログの2012年6月13日参照)からも情報を入手し、ある程度の事実を知っているフクイチ事故のみについて記載する。

 朝日新聞の報道があった後、*1-2に書かれているように、政府は、政府事故調が関係者から聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、吉田元所長ら計19人分を公開し、同時に、菅直人元首相、枝野幸男元官房長官など事故発生当時の政権幹部らの調書も公開された。

 しかし、これまでこの政府事故調の調査結果が開示されることなく、「原発は重要なベースロード電源」とされ、新規制基準を作って原発再稼働に向かって進んできたことに、私は違和感を覚えている。そのため、記事のタイトルが事実に反していたとしても、政府事故調の調査結果を入手して報道し、開示にこぎつけた朝日の取材に対して、私は、NHKや日経の報道よりも感謝する。つまり、この記事を批判して原発再稼働を推進するばかりのメディアは、主権者である国民の知る権利に資するというメディア本来の社会的責任を果たしていないのである。

 なお、*1-2によれば、吉田氏は2011年3月14日夕から15日朝の2号機の様子について、「完全に燃料露出しているにもかかわらず減圧もできず、水も入らない」「水が入らずにメルトダウンすれば、完全に格納容器をぶち破って燃料が全部出ていってしまう」「そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故になる」「我々のイメージは東日本壊滅」と当時の状況を語っており、この辺が公表されなかった吉田調書の重要な部分だ。

 また、朝日新聞が、命令違反で撤退したのがいけないかのように書いていることについては、熟練した人が多い組織では、緊急時に現場で行う臨機応変の対応の方が正しく、報告を聞いて発する上司の指示の方がおおざっぱで時間遅れの場合もあるため、「上司の命令が絶対で命令違反がいけない」という考え方がおかしかったのである。軍隊や官僚組織、トップしか技術や知識のない中小企業と東電とは異なるため、組織によって合理的な意思決定の手法は違うことを、記者も勉強しておくべきだった。

 朝日新聞が虚偽の報道をしたとして問題になっている部分は、「吉田氏は収束作業に必要な人員を残して免震重要棟から第一原発近辺の線量の低い場所へ退避を指示したが、多くの所員が第二原発に退避し、吉田氏はそれを事後承認していた」という部分である。これについては、東電の清水社長(当時)が「全員撤退もありうる」と菅元首相に連絡していたことが、枝野元官房長官などの証言でわかる。そして、これが菅元首相が発破をかけにフクイチの事故現場へ行った理由の一つだろう。

 吉田氏は、「所員が40何人亡くなっているのであれば、そこで腹を切ろうと思った」と事故当時の心境を語っている。しかし、それでは、住民の生命と健康はどうなるのか、フクイチの所員が亡くなったからといって、腹を切られては住民がたまったものではない。つまり、東電、政府、多くのメディアにないものは、東電と政府が原因で発生した原発事故で、事故前後に無用な被曝をさせられた住民の視点である。

 なお、*1-3で吉岡元九大副学長が語っているとおり、この朝日新聞記事に関する論争は、最も重要な論点を外した論争で、あまり面白くないものであるため、今後はこの事故調査報告書の調査結果が全面公開され、事故の真実が浮き彫りになることが望まれる。

 さらに、*1-4のように、日経新聞など多くのメディアが、鬼の首をとったかのように朝日の謝罪ニュースばかりを流し、「吉田調書の教訓を原発の安全に生かせ」などとしているが、事故調の調査報告書を開示することすら要求せずに、事故の教訓を原発の安全に生かしたか否かを検証することはできるわけがないため、メディアとしては、原発再稼働を推進する前に、まず事故調査報告書を開示させ、新基準や審査の妥当性について言及すべきで、こちらこそ原発被曝者の立場から人権委員会にかけてもらいたい。

(2)政治家や専門家の調書概要について
 *2-1に、政治家や専門家の調書内容がまとめられているが、菅元首相は、「撤退問題では全面撤退との受け止めだった」としており、これについて、枝野元官房長官も、原発作業員の撤退問題について東電の清水元社長から撤退の了承を求める電話があったことを認めた上で、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と証言している。

 そして、菅元首相は、「吉田調書と私の調書を重ね合わせれば、事実関係がはっきりする。撤退を最初に言い出したのは、清水社長であることが明らかだ。現場視察は住民避難を判断するため、現場と話す必要があった。所員の調書やテレビ会議の全面公開が必要だ」としているが、重要な情報を未だに公開できないのは、何故だろうか。

 なお、当時の記者会見で、枝野元官房長官が放射線の影響について「直ちに人体に影響を及ぼす数値ではない」と表現していたことについては、「急性被曝では全然問題になる数字ではないが、相当高いから累積被曝では問題になるということは自分でわかっていた」とその理由を説明した点について、そこまできちんと報道すべきで、そうしていれば国民は馬鹿ではないため、関東まで含む住民の無駄な被曝が避けられたと考えている。
   
 福山元官房副長官は、「事故がいかに過酷であったか、実態がよく伝わるだろう。今後の原発政策に大きな教訓となる。当時の住民避難や事故対処のオペレーションについての反省が、原発再稼働の準備が進む中で生かされているかどうか、改めて検証が必要だ」としているが、もう遅すぎるくらいだ。

 また、*2-2で、近藤元原子力委員長が、「事故が拡大して放射能汚染が広がれば、東京都も含む半径250キロ圏内の住民が避難対象になる『最悪シナリオ』を政府は事故発生2週間後に作成していたが、一番危機だったときに作るべきなのにと思った」と証言しているが、フクイチでは、パニックを恐れて必要な情報も開示せず、その結果、住民の生命や健康を危険に晒したことが最も大きな人権侵害である。

 なお、*2-3のように、日経新聞は、「官邸と現場がちぐはぐだった」「一刻を争う現場の責任者に首相が初歩的な質問を投げかけた」など、的外れの菅元首相批判をしているが、これは権力を批判したふりであっておかしい。

 他方、東京新聞は、*2-4のように、「国会事故調は政府から独立して事故原因を究明するために2011年12月に設置され、12年7月に報告書を公表したが、非公開の部分については、国会議員すら閲覧できない状態が続いている」としている。そうであれば、早急に公開して、これまでの避難体制や損害賠償、原発政策、新基準が十分だったか否かを検討すべきだ。

(3)報道と人権
 *3-1のように、朝日新聞が5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」の見出しで報じた記事が、名誉毀損等の人権侵害など記者倫理に触れる行為があったかどうかを審理するそうだ。確かに事実に反してこのようなことを書かれた人にとっては名誉棄損だろうが、東電の清水社長、吉田所長、現場の行動のちぐはぐぶりでは、それを真実と信じる相当の理由があったのかも知れない。一方で、原発爆発の真実を報道しなかったメディアが、無用な被曝をさせた住民に対して行った人権侵害については、報道倫理を審理するのが妥当である。

 そのような中、朝日新聞の記事が嘘だったとしても、それと同時に、*3-2のように、九電、川内原発の基準適合が正式に決定され、再稼動に向けて進んでいるのは偶然とは思えないが、周辺住民の人権はどうなるのだろうか。

<吉田調書をめぐる朝日新聞報道について>
*1-1:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346594.html?ref=mail_0912y_01
(朝日新聞 2014年9月12日) 朝日新聞社、記事取り消し謝罪 吉田調書「命令違反し撤退」報道
 朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、吉田昌郎(まさお)所長(昨年7月死去)に対する「聴取結果書」(吉田調書)について、5月20日付朝刊で報じた記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した。杉浦信之取締役の編集担当の職を解き、木村社長は改革と再生に向けた道筋をつけた上で進退を決める。
■慰安婦巡る記事、撤回遅れを謝罪
 朝日新聞社は、「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を立ち上げ、取材・報道上の問題点を点検、検証し、将来の紙面づくりにいかす。本社は政府が非公開としていた吉田調書を入手し、5月20日付紙面で「東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した。調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した。問題点や記事の影響などについて、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」に審理を申し立てた。朝日新聞社が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、その訂正が遅きに失したことについて、木村社長は「おわびすべきだった」と謝罪した。元名古屋高裁長官の中込秀樹氏を委員長とする第三者委員会を立ち上げ、過去の報道の経緯、国際社会に与えた影響、特集紙面の妥当性などの検証を求める。
■池上氏連載判断「責任を痛感」
 木村社長は、慰安婦特集について論評した池上彰氏の連載コラムの掲載を見合わせた判断については、「言論の自由の封殺であるという思いもよらぬ批判があった」「責任を痛感している」とした。
■朝日新聞社の報道を審理・検証する各委員会
・「吉田調書」報道/報道と人権委員会(PRC)
・慰安婦報道/有識者による第三者委員会
・信頼回復/信頼回復と再生のための委員会(仮称)

*1-2:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346601.html
(朝日新聞 2014年9月12日) 吉田調書、政府が公開 福島第一原発事故
 政府は11日、東京電力福島第一原発事故に関して、政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、吉田昌郎元所長ら計19人分を公開した。この日開示されたのは吉田氏のほか、菅直人元首相、枝野幸男元官房長官ら事故発生当時の民主党政権幹部らの調書。菅義偉官房長官は11日の記者会見で「吉田元所長のヒアリング記録の一部のみ、断片的に取り上げられた記事が複数の新聞に掲載され、独り歩きとの本人の懸念が顕在化した」と公開した理由を述べた。
 吉田氏の調書によると、吉田氏は2011年3月14日夕から翌朝の第一原発2号機について、「完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らない」状態と説明。「このまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故」「我々のイメージは東日本壊滅」と当時の危機的状態を振り返っている。15日朝、吉田氏は収束作業に必要な人員を残して免震重要棟からの退避を指示した。多くの所員は第二原発(2F)に退避したが、吉田氏は「本当は私、2Fに行けと言っていない」「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもり」と明かしている。ただ、指示通りに第一原発近辺に退避すれば「みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまう」と指摘。「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と所員の行動を評価した。

*1-3:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346489.html (朝日新聞 2014年9月12日) 無理にニュースに仕立てた印象 吉岡斉氏 吉田調書をめぐる朝日新聞社報道
 朝日新聞の吉田調書に関する報道について、これまで見た限りでは、新しい情報は見あたらなかった。相当無理をしてニュースに仕立てているような印象だった。「命令違反」とまでは言えないとも思っていた。あまりおもしろい視点はなく、むしろ欠乏感さえ感じていた。そもそも吉田所長自身、事故時は全体状況を完全に把握しないまま対応していたと思っている。その話に真実が不足するのは当然だろう。どこまでの命令が出ていたかもあいまいだし、地獄のような現場で、できるだけ遠くに逃げるという判断は正しかったと思う。ただ、朝日新聞が今回、「命令違反で撤退」の指摘を誤りと認めたことは、ある程度、評価はしたい。現地調査の時に、吉田所長に短時間だがお会いしたが、聴取は小部屋のようなところで人数も制約されていた。参加できる委員は相当限られていたこともあり、私自身は吉田所長の聴取に参加していない。政府が、吉田調書をはじめほかの調書を公開したことについては、事故から3年半たったとはいえ、喜ばしい。本来は、聴取時点で「事故調の報告書公開後は、調書を公開してよい」と同意をもらっておき、一気に公開した方が望ましかった。今後、ほかの証言も次々に公開されるのが切に望まれる。聴取対象者は東京電力関係者や役所の人が多かった。そうした人たちが今後どの程度、調書の公開に同意するかによって、関係者の歴史への責任感を示す物差しともなる。政府事故調は時間もマンパワーも限られた中での調査だった。聴取にしても、多くても対象者1人当たり2、3回しか時間がかけられず、詰め切れないところは多かった。今後は常設の事故調査組織を国会か政府につくって、いままでの資料や証言をそこに統合し、さらに新しい資料や証言を積み上げていくべきだ。特に原子炉建屋内の調査は重要だ。
     *
 よしおか・ひとし 東京大理学部物理学科卒業。1994年から九州大教授。2010年から今春まで同大副学長。政府事故調委員を務めた。

*1-4:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20140913&ng=DGKDZO77042860T10C14A9EA1000 (日経新聞社説 2014年9月13日) 吉田調書の教訓を原発の安全に生かせ
 政府は東京電力・福島第1原子力発電所事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が関係者から聞き取った記録のうち吉田昌郎元所長(故人)ら19人の聴取結果書(調書)を公開した。調書からは事故対応にあたった東京電力や政府の混乱ぶりが改めて確認できる。情報共有の欠如が相互不信を生み、不信が事故現場への不要な介入を招いた悪循環が浮き彫りになっている。証言には不明確な記憶に基づき感情的にすぎる言葉遣いも散見される。予断や誤解が紛れ込んでいる可能性も否定できない。読み比べ、他の資料ともあわせて検証し、教訓をくみ取る必要がある。吉田氏は3号機の爆発後、「四十何人亡くなっているのであれば、そこで腹を切ろうと思った」と当時の心境を語っている。爆発が起きたのは、免震重要棟にいったん退避していた所員らに現場に戻るよう、吉田氏が命じた直後のことだった。事故の拡大を食い止める必要がある。同時に部下たちの生命を守らねばならない。吉田氏は2つの重責の板挟みにあった。吉田氏は人並みはずれた能力をもつ英雄ではなかったろう。企業の管理職でありひとりの技術者だった。その吉田氏を極限状況に追い込んだのは電力会社や政府の過信だ。深刻な事故は起きないとし十分な備えを怠った。吉田氏自身も過信を生んだ輪の中にいた。九州電力・川内原発(鹿児島県)を先頭に原発が再稼働に向かうなか、過信はもう許されない。安全は常にもっと安全にしようとする継続的な努力から生まれる。これで十分ということはない。電力会社は過信を捨て、二度と事故を繰り返さないとの決意の下、原子力規制委員会の規制基準をスタートラインととらえて自主的な安全対策を積み増す努力が求められる。ひとたび大きな事故が起きれば多くの人の生命と健康が脅かされる。原発は火力発電所など他の産業施設とは違う。政府はこの点を直視し、電力会社や地元自治体に安全確保を丸投げにしない誠意ある姿勢を示すべきだ。また官民ともに万一の事故に備え危機管理能力を磨く必要もある。目に見える努力が原発政策への国民の支持につながる。一連の調書、とりわけ吉田氏の証言は、原発にかかわるすべての人に読んでもらいたい。

<政治家・専門家の調書概要>
*2-1:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346567.html
(朝日新聞 2014年9月12日) 政治家・専門家の調書概要〈1〉 福島第一原発事故
政府は11日、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会の調査を受けた約770人のうち、第1弾として計19人の証言を公開した。菅直人元首相ら当時の政権中枢のメンバーらは、未曽有の過酷事故をどう振り返り、何を語ったのか。
    ◇
 調書は内閣官房のホームページ(http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/hearing_koukai/hearing_koukai.html)で公開
■菅直人・元首相 「視察、現場と話すため」
 菅元首相は2011年3月12日朝、第一原発をヘリで視察に訪れた意図や、東電本店に直接乗り込み、政府と東電の対策統合本部を立ち上げた経緯などを語った。撤退問題では、全面撤退との受け止めだったと強調している。
   *
 菅氏は視察を決めた理由について「福島原発の状況がなかなかコミュニケーションがスムーズにいかない中で、現場の責任者と会って話をした方がいいと判断した」と説明。官邸で当初説明役を務めた経済産業省旧原子力安全・保安院の寺坂信昭元院長を「ちゃんとした説明ができない」、東電の武黒一郎元フェローも「十分な情報を持っていなかった」と語っている。本来ならば住民避難の司令塔となるオフサイトセンター(福島県大熊町)が地震被害で機能不全になっており、菅氏は「(センターが)全部機能して動いていれば、必ずしも行くという判断をしていない」とも述べた。自ら赴いたことには、「放射性物質を使った実験ぐらいは学生実験でやったことがある。普通の文系政治家よりは理解できる」と理系の自負心をのぞかせている。武黒氏が官邸の了解を得ていないとの理由で福島第一原発の吉田昌郎元所長に海水注入を中止するよう求めた一件について「(海水注入で)塩が固まってくる。金属などに長期的に影響するという専門家の指摘はあった」としつつ、「緊急時だから、水がなくなれば海水しかない」と考えていたと断言した。また、武黒氏の指示を無視して海水注入を続けた吉田氏については「立派だったと思う」と評価した。「撤退」問題が浮上した直後、菅氏は東電に乗り込む。本店と第一原発をつなぐテレビ会議システムの存在を「初めて知った」といい、統合本部の設置は「非常に良かった。第一サイトと全部ツーカー」とした。撤退問題では、東電側の意向は全面撤退と受け止めていたと繰り返し強調した。3月15日未明、官邸で海江田万里元経産相と枝野幸男元官房長官から、東電が撤退の意向を打診してきているとの報告を受けたという。「経産大臣やほかのメンバーもそういう(全面撤退との)認識だった」といい、その場で「全部放棄することはできない」との意見で一致した。東電の清水正孝元社長を官邸に呼んで面会した際、菅氏が清水氏に撤退を認めない旨を伝えると反論はなく、「やはり(全面撤退と)思っていたんだなと思う」と当時の感想を述べている。直後に本店に乗り込み「撤退したら東電はつぶれる」などと社員を前に発言したことを明かし「それ以来、撤退の話は全く聞かなくなった」と自賛した。「後世の人たちに伝えたいことは何か」との事故調委員からの質問には「原発はちょっとやめておいた方がいい。世界にとっても」と明言。理由について「首都圏を含む3分の1に近いところはある期間住めなくなるリスクを考えた時、どんな安全対策をやっても、リスクを完全にカバーできる安全対策はあり得ない」と強調している。
   *
<菅氏のコメント> 吉田調書と私の調書を重ね合わせれば、事実関係がはっきりする。撤退を最初に言い出したのは、清水社長であることが明らかだ。現場視察は住民避難を判断するため、現場と話す必要があった。所員の調書やテレビ会議の全面公開が必要だ。
■枝野幸男・元官房長官 「東電社長、全面撤退求めた」
 当時、官房長官だった枝野幸男衆院議員は、避難区域の設定といった事故対応のほか、首相官邸での記者会見を通じて、連日、原発の状況や放射線量などの説明にあたった。
   *
 枝野氏は、東電側が「一部撤退」と主張し、官邸側と証言が食い違う11年3月14日夜から翌未明にかけての原発作業員の撤退問題について、東電の清水元社長から撤退の了承を求める電話があったことを認めたうえで「間違いなく全面撤退の趣旨だったと、これは自信があります」と証言した。「ほかの必要のない人は逃げますという話は、別に官房長官に上げるような話ではないですから。勘違いとかはあり得ないですね」と述べた。15日に、政府と東電の対策統合本部を設置した理由についても、枝野氏は「撤退問題が最後の決め手だと思います」と説明。「(菅直人元首相は)とにかく直接グリップしないと、どこまで行くのかがわからないということだったんだと思います」と述べ、「少なくとも実体としての東電に、当事者意識も能力もない」と強調した。当時の記者会見で枝野氏が放射線の影響について「直ちに人体に影響を及ぼす数値ではない」と表現していたことについて「この間は急性被曝(ひばく)を気にしていました。急性被曝では全然問題になる数字ではないけれども、相当高いから累積被曝では問題になるということは自分でわかっていましたから」とその理由を説明した。一方、官邸が炉心溶融(メルトダウン)を把握しながら、隠していたのではないかとの指摘について、枝野氏は「(メルトダウンが)していない情報ばかりが入ってきているんです。メルトダウンしているという分析が上がってくれば、ちゅうちょなく説明しています」と強調。官邸の情報公開の姿勢について「データは全部出せということの認識はずっと一貫しています。それだけに、若干いろいろなところで言われていることについては、正直に言って不本意です」と述べた。
   *
 <枝野氏のコメント> 検証を国民的視点でやる上で、情報公開は大変喜ばしい。ただ、私の調書は私が求めた何倍もの黒塗りが政府によってされている。他の人も必要以上に黒塗りされている可能性がある。さらに情報公開が進むことを期待する。
■細野豪志・元首相補佐官 「班目氏、もう手はないと言った」
 首相補佐官として首相官邸で事故対応にあたり、政府と東電本店の統合本部に入った細野豪志衆院議員。最も危機感を募らせたのは11年3月14日の夜だ。吉田氏との電話で「常に『まだやれる』という返事だった人が、弱気になっていたから、本当にだめかもしれないと思った」。
   *
 翌15日未明、官邸では福島第一原発からの「撤退」が議論された。東電の清水元社長から電話を受けた海江田元経産相の理解は「完全に撤退すると解釈していた」と説明した。電話を受けた枝野元官房長官も同じ認識だったという。「(東電元フェローの)武黒さんがしょんぼりして、もう何もできませんみたいな話をしたから、『あんた、責任者だろ。しょんぼりしていないで何か考えろ』と言った覚えがある」。さらに「あのとき班目(春樹・元原子力安全委員長)さんが、もう手はありませんから撤退やむなしと言った。一番の専門家だと思っていたから、本当に愕然(がくぜん)として」。しかし、菅氏を交えた会議で「瞬時に、撤退はあり得ないだろうという話になった」。事故発生後、細野氏は菅氏に進言し、近藤駿介・元原子力委員長に依頼して最悪の事態を想定したシナリオを作成した。「これだけ最悪のシナリオを想定しても、現時点においては避難範囲が20キロで十分だということで、非常に胸をなでおろした」。しかし、シナリオは公表しなかった。その理由については「例えば2炉心分がすべて露出をした場合に10ミリシーベルトに達するのが70キロ。ただ、それに達するまでには、1カ月程度の時間がある」と説明した。細野氏は菅氏の事故対応には「総理が政治家で、原災法上の指示権を持っているからこそ、できたことはある」と振り返る。ただ、発生直後に現場を視察することには反対だった。5月中旬に福島第一原発を訪れた際、吉田氏に視察がベントを遅らせたのではないかと確認したという。「総理が来ようが来まいがそのときはベントはとてもできなかったと聞いて、すごくほっとした」
■海江田万里・元経産相 「事業者任せでいいのかと反省」
 当時、経済産業相だった海江田万里・民主党代表は事故直後、首相官邸に詰めて、菅氏らと対応にあたっていたが、東京電力本店などとのやりとりには混乱が生じていた。
   *
 政府は、11年3月12日早朝、原子炉の圧力を下げるため、放射線量の高い蒸気を原子炉の外に出すベントをすることを発表した。しかし、2時間以上たっても東電から何の報告もなかった。当時の状況について、「とにかく、何でベントができないのだろうかとずっと思って、とにかく現場に電話してみなければいけないというので、電話で何回かつなげたら、最後に吉田所長と連絡がついた」と振り返っている。結局、ベントが成功したかはわからず、1号機は同日午後には水素爆発する。「ああいう緊急事態で、すべて実施主体を事業者に任せておいていいのかというのは、反省として僕はあると思う」と述べている。14日夜から15日未明にかけ、東電が全員撤退を申し出たかどうかをめぐる清水元社長とのやりとりも詳細に語っている。当時、清水社長から受けた電話の内容について、「僕が覚えているのは『撤退』という言葉ではない。『退避』という言葉。第一発電所から第二発電所へ退避させたい」と語った。
 海江田氏は、東電が退避を考えていることを、すぐに菅氏と枝野氏に伝えた。その時の退避の認識について「僕は全員だと思った」という。吉田氏が現場から離れるつもりはなかったことについては、官邸に「伝わっていないですね」としている。実際、この後、東電への不信感から、菅氏らと東電本店に乗り込んだ。また、当時の退避の状況については、「あのとき何かいろいろな混乱があったらしいですね。あのとき間違って全員出ようとしたとかという話もまたあるのですね。それはちょっと、現場の話でないとわかりませんけれどもね。バスが来て、みんなそこで乗り込もうとしたとか、それはいろいろあるらしいですね」と推測している。
   *
 <海江田氏のコメント> 私たちが経験したのは我が国、世界にとって未曽有の原子力災害だった。私たちがどう対応したのかを明らかにすることを通じて、二度とこうした悲惨な原子力の事故が起きないよう、そのための糧としてもらいたい。
■福山哲郎・元官房副長官 「炉が不安定、屋内退避を選択」
 原発事故で住民避難策の中心を担った福山哲郎元官房副長官の調書からは、首相官邸が事故の初動対応時に、当初から広域避難を検討しながら、原発近くの住民の避難を最優先し、原発の状況悪化のたびに避難指示区域を広げていった経緯が読み取れる。
   *
 政府は11年3月11日午後9時23分、原発から半径3キロ圏内に避難を指示。その後、1号機格納容器の圧力が上がり爆発の危険性が示されたため、12日午前5時44分に対象を10キロ圏に拡大。午後3時36分には1号機建屋で水素爆発が起き、政府は午後6時25分に避難対象を20キロ圏に拡大した。この際の意思決定を、福山氏は「一遍に20キロにすると、一気に避難の人数、人口が増えます」「遠い人たちが逃げるとそこで渋滞する」「リスクがある近場の人が逃げ遅れる可能性がある」と説明した。15日午前6時過ぎには4号機の建屋で爆発が発生。政府は午前11時、20~30キロ圏の6万2千人に対し、避難ではなく屋内退避を指示した。福山氏は「逃がすのに何日ぐらいかかるかという議論をしたら(中略)4~5日かかると」「炉の不安定な状況の中でいつ爆発するかわからないのだったら屋内退避にしようという判断をした」と語った。一方、政府は事故から1カ月経った4月19日、県内の学校施設の利用基準を年間の被曝線量20ミリシーベルト以下と定めた。調書では、福山氏はその際の政府内での議論について、「10(ミリシーベルト)にしろという議論がありました。大人よりも子どもの方が小さい、(中略)半分くらいにすべきではないかと」と明かしている。この前の4月11日、政府は原発から20キロ圏外に避難指示区域を設定する際の基準を年20ミリシーベルトと定めていた。このため福山氏は、「10にしたらほかに絶対波及します。ほかの市町村がうちは10を超えているのにいいのかと絶対に言い出します」「やはり社会不安をあおらないということも並行して重要だった」などと、整合性や社会的影響を考慮した点も述べている。
   *
<福山氏のコメント> 事故がいかに過酷であったか、実態がよく伝わるだろう。今後の原発政策に大きな教訓となる。当時の住民避難や事故対処のオペレーションについての反省が、原発再稼働の準備が進む中で生かされているかどうか、改めて検証が必要だ。
■長島昭久・衆院議員 「米国側、非常に困っていた」
 長島昭久・衆院議員は、主に米国側との調整を担当した。情報不足や4号機の燃料プールについて、米側が強い危機感を持っていたことを証言している。12年2月2日の聴取によると、11年3月18日に日本に派遣された米原子力規制委員会(NRC)の人たちが東京電力に来た。「どこへ行けば正確な情報が入るのか、どこで意思決定されているのかがなかなかつかめない。非常に困っているということだった」。その後、米国のルース元大使らを交えて会談したが、米側が最も関心を持っていたのは4号機の燃料プールの状況だった。「使用済み核燃料のストックされているプールが地震によってもう崩壊している。その影響で水素爆発が連鎖的に起こっているというような見立てだった」。後で振り返ると、燃料プールはしっかりしていたし、米側は過度な疑いを持っていたという。「断片的な情報しか出てこないのは、もしかしたら隠していると思ったかもしれない。日本側には当時そんな隠す意図はなかったと思う。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)以外は」と証言している。
■池田元久・元経産副大臣 首相の視察「まずいのでは」
 現地対策本部長として福島に出向いた池田元久・元経済産業副大臣は、菅直人元首相が11年3月12日、福島第一原発を視察したことについて、「これは困ったな。全体の未曽有の災害対策としてはまずいのでは」と証言した。津波被害で行方不明者の数も分からない状態。「人命救助は72時間が鉄則。72時間はしっかりと人命救助に努力すべきだと」「通信手段もあるし、東京にいた方が事故対応がしやすいのでは」と振り返った。福島に来てバスに乗りこんだ菅氏は、東電の武藤栄元副社長と並んで座り、「いきなりそこで怒鳴りつけた」。免震棟に移ってからも、作業員らが大勢いる前で「何でおれがここに来たと思っているのだ」と怒鳴ったという。菅氏の態度を「大変遺憾だ」とし、「審議官とか武藤とか副知事には申し訳なかったと謝った。それくらい大変な激昂(げきこう)でした」。「本当にあきれた」と批判した。
■鈴木寛・元文科副大臣 「SPEEDI出せと言った」
 放射性物質の拡散状況を予測する「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータがすぐに公表されなかった問題について、所管していた文部科学省の責任者が証言している。鈴木寛・元文部科学副大臣は12年2月23日と3月7日の聴取で、判断は全体状況を知る原子力安全委員会が行うべきだったとの認識を示し、安全委の対応能力の欠如を批判している。「SPEEDIを早く出せということは、我々は安全委に何度も言った。とにかくまず記者会見をやれと、毎日のように言い続けてきた」。しかし会見が開かれないため、委員や事務局職員らについて「法律で定めている任に堪えないという認識を抱いた」。安全委については「権限を行使し得る人的体制になっていない」と指摘している。
■高木義明・元文科相
 高木義明・元文科相は12年1月31日の聴取で、「公表について、災害対策本部の方の、まさに政府としての判断だと思っていた」と証言。「データを出すのは別に私たちはとめることでもない。かえって不安を助長するから、あるものは出すという基本に私たちはあった」と述べている。
■聴取書(調書)が公開された19人(肩書は事故当時)
【東京電力福島第一原発】
吉田昌郎所長
【官邸】
菅直人首相
枝野幸男官房長官
福山哲郎官房副長官
細野豪志首相補佐官
【経済産業省】
海江田万里経産相
池田元久経産副大臣
森山善範・原子力安全・保安院原子力災害対策監(聴取時)
【政府・与党(民主党)】
北沢俊美防衛相
中野寛成国家公安委員長
高木義明文部科学相
鈴木寛文部科学副大臣
長島昭久衆院議員
【原子力委員会】
近藤駿介委員長
【研究者・その他】
首藤伸夫東北大名誉教授
鈴木篤之・元原子力安全委員長
松浦祥次郎・元原子力安全委員長
藤城俊夫・高度情報科学技術研究機構参与(聴取時)
松本宜孝・内閣府主査

*2-2:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346503.html
(朝日新聞 2014年9月12日)政治家・専門家の調書概要〈2〉 福島第一原発事故
 政府が「調書」を公開した人の中には、原子力規制や津波の専門家も含まれている。福島第一原発事故による「最悪シナリオ」はどうやって作成されたのか、津波の想定や、過酷事故対策がなぜ後手に回ったのかなどがつづられている。
■近藤駿介・元原子力委員長 最悪想定「一番の危機に作るべき」
 事故が拡大して放射能汚染が広がれば、東京都も含む半径250キロ圏内の住民が避難対象になる――そんな「最悪シナリオ」を政府は事故発生2週間後に作成していた。当時の原子力委員長で、専門家として作成にあたった近藤駿介氏は「一番危機だったときに作るべきなのにと思った」と証言していた。シナリオが作られたのは、2011年3月25日。その3日前に、総理執務室で菅直人首相(当時)から作成依頼を受けたという。「私は総理から、『そろそろ事故状況が落ち着いてきたから、最悪シナリオを考えてくれ』と言われ、本来であればそのような最悪シナリオは3月16日の一番危機だったときに作るべきなのにと思った」。近藤氏が事故調に提出したメモによれば、「状況が悪化した場合に直ちに関係者に進言できるように」と、自分で3月15日から専門家に声をかけて検討を始めていたという。16日の段階では、4号機の使用済み燃料プールで核燃料が再臨界したり、無事だった5、6号機の状況が悪化したりすることを懸念。依頼を受けた22日段階では、水素爆発などで事故の復旧作業が止まるのを警戒。「いつでもどこでもポンポン水素爆発が起きると考えて行動するべき」と進言したという。シナリオは、4号機の使用済み燃料プールの水が減り、燃料が溶けることを想定。原子炉建屋の爆発でプールがむき出しになっており、復旧作業が止まれば14日程度で放射性物質が大量放出されると推定した。ただ、首相補佐官だった細野豪志氏にシナリオを渡した際には、事態が悪化するまで時間がかかり、対策が間に合うとして「結果としてここに示すような結果になることはないと思われる」と伝えたという。近藤氏は、事情聴取後に提出した補足文書で「私の最大の誤り」として、原発の安全目標の議論で周辺の人の過剰な被曝(ひばく)を指標に選んだことを挙げた。「命を守ることが安全だと思い込んでいた」。土地汚染を指標とせず、汚染によるコミュニティー崩壊の深刻さなどの教訓をチェルノブイリ事故から学ばなかったことは「本当に不覚であった」と反省した。
■首藤伸夫・東北大名誉教授 津波対策「電力会社は改良嫌う」
 福島第一原発は、東電の想定を上回る津波に襲われ、非常用ディーゼル発電機や配電盤が水没した。原発の津波想定や対策にかかわった専門家や国の担当者はどう考えていたのか。土木学会の原発の津波想定の指針づくりにかかわった首藤伸夫・東北大名誉教授は「電力会社は、一旦(いったん)出来上がったものの改良を行うことを嫌う」と答えた。東電の想定は2002年、土木学会の指針策定を受けて、従来の3・1メートルから2倍近い5・7メートルに引き上げられた。過去に襲った最大の津波のほぼ2倍の高さになるとされたが、想定外の津波への対処などには踏み込んでいなかった。首藤氏は、予測の不確実さや、想定外の対策の必要性に触れなかった理由を問われ、「千年に一度かどうかもわからないようなものを対象に設備投資をしたいと主張しても、株主は納得しない」と振り返った。
■森山善範・元保安院幹部
 同じ02年、国の地震調査研究推進本部は、福島沖でも三陸のような津波地震が起きる可能性があるとする見解を発表。過去に仙台平野などを襲った貞観津波も次第に実態が明らかになっていく。しかし、対策には反映されなかった。経済産業省原子力安全・保安院の課長として原発の審査を担当した森山善範氏の調書によれば、貞観津波を認識したのは09年6月24日ごろにあった地震・津波対策を評価する作業部会での専門家の指摘だった。ただ、東電の津波の再評価については「文書による要請をやろうと思えば可能であったが、そこまでは踏み込まなかった」。その後、東電の試算で敷地の高さを超える結果になると部下から知らされた。ただ、専門家の検討には委ねず、津波高を部下や有識者に尋ねることもしなかった。「貞観津波に関する話は熟度が低いと考えており(中略)認識が甘かった」。
■松浦祥次郎・元原子力安全委員長 「電源担保、どこかに記載あれば」
 原発事故をどう防ぎ、事故が起きたときにどう対処するか。国の指針を定める役割は原子力安全委員会が担っていた。その委員長を事故前に務めた専門家2人の調書も公開された。福島第一原発は電源を失い、原子炉の冷却ができなくなった。だが、指針では、すぐに復旧できることから長期間の交流電源の喪失は考慮する必要はない、とされてきた。2000~06年に委員長を務めた松浦祥次郎氏は、聴取に「影響が大きいので、交流電源を担保すべきという記載がどこかにあれば防げたと今では思う」と回答した。「雷によって停電してもすぐに復旧する」ことや、指針を作った専門家が「実績と深い専門知識を持っており、信頼していた」ことから「不審とは思っていなかった」。一方で、電源があっても冷却ができたのかという疑問も呈した。「海水冷却ポンプが動かないと冷却できない。かなり頑丈な構造体に入れるとか、陸側に貯水タンクをつくっておくなどの対応が必要であろう」
■鈴木篤之・元原子力安全委員長
 原子炉の燃料が著しく損傷するような過酷事故対策も、事故前は電力会社の自主的な取り組みとされてきた。事故後につくられた原発の新規制基準では、国による審査の対象になった。なぜ自主的な取り組みにとどまっていたのかについて、06~10年に委員長を務めた鈴木篤之氏は「本格的に取り組みだしたらどこまでやるのかが問題になるし、地元の人たちもやはり原子力施設は危ないのだと受け取ってしまう」と答えていた。事故対策は、国ごとに事情、社会の仕組みが異なるとした上で、「日本で本格的にやろうとすると、途方もない作業になり、収拾がつかない」とした。

*2-3:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20140912&ng=DGKDASFS11H24_R10C14A9EA2000 (日経新聞 2014.9.12) 人災回避へ 教訓重く、 吉田調書公開 官邸と現場、ちぐはぐ
 政府が11日公開した東京電力福島第1原子力発電所の主要関係者証言は、東京電力の事故想定の甘さや危機管理で迷走した首相官邸の混乱を浮き彫りにした。折しも九州電力川内原発(鹿児島県)を皮切りに原発の再稼働が動き出す。事故に人災の面があったことは否めない。教訓は何か。(肩書はいずれも当時)。 「座った時点でかなり厳しい口調でどういう状況になっているんだということを聞かれた」。2011年3月12日朝、ヘリコプターで福島第1を訪れた菅直人首相は吉田昌郎所長に詰め寄った。調書によると菅首相はその後も電話で「水素爆発とはどういうメカニズムで起こるんだとか、水蒸気爆発とちがうのかといったご質問をなさっていた」。一刻を争う現場の責任者に首相が初歩的な質問を投げかけるなど官邸と現場のやりとりはちぐはぐだった。高放射線量の暗闇の中、現場は原子炉格納容器の爆発を防ぐためガスを抜く「ベント」の作業に取り組んだが成功しない。官邸は「東電はベントを嫌がっている」(細野豪志首相補佐官)と不信感を募らせ督促した。「命令してできるんだったらやってみろと、そういう精神状態になっていますから現場が全然うまくいかない状況です」。吉田氏は告白している。日本の危機管理のあいまいさは事故後も残る。米国は連邦緊急事態管理庁主導で事故に対応し、最高責任者には経験豊富な管理庁長官が就く。仏では事故が起きると即時に「事故後指揮委員会」をつくり電力公社に代わって指揮する。日本でも、こうした仕組みづくりが浮上したが改革機運はしぼみ縦割り色が強まる。

*2-4:http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014091302000119.html
(東京新聞 2014年9月13日) 吉田調書 「国会事故調も公開を」 幅広く検証要求の声
 東京電力福島第一原発事故をめぐり、国会が設置した福島原発事故調査委員会(国会事故調)が故・吉田昌郎(まさお)元福島第一所長から非公開で聞き取った記録を公開するよう求める声が出ている。政府事故調の「吉田調書」が十一日に公開されたためだが、国会事故調の記録の取り扱いは決まっていない。国会事故調は政府から独立して事故原因を究明するために二〇一一年十二月に設置され、一二年七月に報告書を公表した。政府や東電の幹部ら三十八人から公開で聞き取りし、約千二百人の関係者から非公開で聞き取った。公開の聞き取りは全文が報告書に盛り込まれたが、非公開については原則、掲載されなかった。食道がんで入院していた吉田氏からは病室で約一時間、話を聞いた。非公開だったため、吉田氏の証言はごく一部が引用されたにすぎない。国会事故調は政府事故調と違った視点で調査を進めており、福島第一原発事故を幅広く検証するため、記録の公開を求める声が出ている。しかし、国会事故調は解散後の資料の扱いを決めておらず、非公開での聞き取り記録など段ボール約六十箱分の資料は国会図書館に保管されたまま。行政府ではない国会は情報公開法の対象ではなく、国会議員すら閲覧できない状態が続いている。超党派議員でつくる「原発ゼロの会」は昨年二月、衆参両院の議院運営委員長に取り扱いのルールを決めるよう要請。議運委の下にある図書館運営小委員会が検討を始めたが、一年半以上たった今も結論は出ていない。ルールの早期策定を求める水野賢一みんなの党幹事長は「非公開のヒアリング記録は丁寧に扱う必要があるが、一律に公開されないのはおかしい」と批判した。

<報道と人権>
*3-1:http://www.asahi.com/articles/DA3S11346554.html
(朝日新聞 2014年9月12日) 「報道と人権委員会」、吉田調書をめぐる朝日新聞社報道を審理へ
 朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)は11日、「吉田調書」をめぐる朝日新聞の報道について、朝日側がPRCの見解を求めた申し立てについて、審理の対象とすることを決めた。対象となるのは、東京電力福島第一原発で事故対応の責任者だった吉田昌郎所長(故人)が政府事故調査・検証委員会に答えた「吉田調書」について、朝日が5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」などの見出しで報じた記事。
◆キーワード
 <報道と人権委員会(PRC)> 朝日新聞社と朝日新聞出版の記事に関する取材・報道で、名誉毀損(きそん)などの人権侵害、信用毀損、朝日新聞社行動基準などの記者倫理に触れる行為があったとして、寄せられた苦情のうち、解決が難しいケースについて審理する第三者機関。調査、審理の結果は見解としてまとめ、公表することができる。2001年に発足した。苦情申立人のほか、審理対象となる朝日新聞社や朝日新聞出版からも、審理を要請することができる。最近では、いわゆる「ロス疑惑」をめぐる名誉毀損訴訟の判決報道に関し、遺族側の申し立てについて、今年6月に判断。この訴訟自体は朝日新聞側が勝訴したが、PRCの見解は、判決で朝日側の主張が認められなかった部分も含めて、「正確に報道することが公正な態度」との考え方を示した。これを受けて、朝日側は、見解を反映させた記事を再掲載した。これまでに、朝日新聞や朝日新聞出版に何らかの是正を求めた見解は10件を超える。現在の委員は、早稲田大学教授(憲法)の長谷部恭男氏、元最高裁判事で弁護士の宮川光治氏、元NHK副会長で立命館大学客員教授の今井義典氏の3氏。

*3-2:http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0H505T20140910?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0 (ロイター 2014年 09月 10日) 九電・川内原発の基準適合を正式決定、再稼動は越年の公算=規制委
九電は昨年7月、川内原発が新規制基準に適合しているかどうかに関する審査を申請。1年間の審査を経て規制委は7月16日、川内原発の安全性確保に関する基本方針・対策に関する「設置変更許可申請」に対し、「基準に適合していると認められる」とする「審査書案」を了承した。
<巨大火山噴火リスク、懸念退ける>
その後、1カ月間にわたる意見募集を行い、約1万7000件が集まった。原子力規制委員会は、これらの意見を精査した上で最終的な審査書に反映させるかどうか検討を進めた。川内原発については、火山噴火リスクを軽視しているとの批判が火山学者から上がっていた。火砕流の到達距離が数百キロに及ぶ巨大なカルデラ噴火が発生し、高温の火砕流が原発の重大事故につながりかねない。審査書案に対する意見募集でも、火山リスクに対する意見が多数寄せられた。しかし、規制委側は、1)川内原発の運用期間中に破局的噴火が発生するリスクは十分に小さい、2)監視体制の強化によって前兆を捉えることができる──とする従来の見解を変えなかった。


PS(2014年9月14日追加):2014年8月30日に報道ステーションのディレクターが亡くなった事件は、早々に自殺とされたが、そのディレクターは、ニュースのうちTVで伝えられない部分を、*4のようにブログで日々レポートしていた人だった。

*4:http://blog.iwajilow.com/?eid=1070906 (つぶやきいわぢろう 2011.03.19) TVディレクターがメディアでは伝えられないニュースの裏側を日々レポート。
●本当は何が起こっているのか
 東京電力の素敵な情報公開はこの期に及んで、(東電上層部の方々は)自分のことを一番と考えているんだなぁと思い、ここまで、自分がかわいがれるのは、ある意味才能だなぁと感心するばかりです。本当は何が起こっていて、これから何が起こるのか?
 東芝の元原子炉格納容器設計者、後藤政志さんが、17日午前、参議員議員会館で院内集会がありました。その時の僕のメモをそのままここに載せます。
以下、取材メモです。
 非常用のディーゼルも立ち上がらない。冷却機能が損なわれている。冷却ができなくなると、水が蒸発します。水位がどんどん下がってきます。外から水を入れないので燃料がすごく高温です。問題は冷却できるかどうか。ほかのシステムで何とかやりくりしながら水を入れようとトライをしています。格納容器の近くに圧力抑制室がある。これは配管が破綻したとか原子炉で事故があると、その蒸気がここのプール(水のプール)に吹いて、温度が下がって体積が縮まるという仕組み。(圧力抑制室は容器内の水蒸気を水に戻して、圧力を下げる役割がある)その圧力抑制室もだめになっている。今回は格納容器の圧力が想定の2倍にまで上がった。何かトラブルがあっても最後は格納容器でがんばれるから放射能は漏れないという設計なのに格納容器自体がだめになっている。穴が開いている可能性がある。外の配水系も津波でやられている可能性がある。ディーゼルも津波でやられている。津波で相当厳しいものがあって同時にいろいろなものを壊している。安全システムはいっぱい作っているが地震は同時にたくさん壊れる。冷やすためには水を入れる水源が必要、ポンプが必要、ポンプを動かすにはエネルギーが必要。この3者がないと動かない。しかも放射能があるので大変作業が厳しい。チェルノブイリでも上空からまこうと思ってパイロットが被曝してみんな死んでいる。みんな決死隊。被曝しながら作業を行っている。それを考えたらたまらない。原子力の危険性に対してきちんと認識した上で対策を考えるべきである。それを踏まえた上で冷静に対応する必要がある。簡単に収束はできない。なぜかというと、もうポンプは動いていない。水があるだけ。水があるから何とか維持している。水は蒸発するのでまた水を入れる必要がある。冷えるまでそれを繰り返していかなければならない。1号機と3号機については建物の中で水素爆発が起こった。現在使用済み燃料プールがむき出しになっている。ここには非常に多くの使用済み燃料がある。使用済みというのは放射能が減っているわけではない。原子力というのは核反応を進めると非常に多くの放射能を出すようになる。それがたくさんある。それは非常に怖い。
 2号機において爆発があった。格納容器が破損している可能性がある。圧力が1気圧になっているのでツーツーになっている。格納機能を失っている。ものすごい大きな穴が開いているのではないかもしれない。普通は24時間圧力を計算します。そういうオーダーで漏れがないということを確認して運転をするがそれをとっくに超えている状態。これだけですめばいい。ここから先が問題。
 もし仮に水の供給ができなくなると燃料が溶ける。それをメルトダウンという。そうすると溶融物がたまる。この溶融物はものすごく高温です。水素が出るので水素爆発の危険性がある。もうひとつは蒸気爆発の危険性もある。溶融物に水を注ぐあるいは水のプールに溶融した金属を落とすと、一気に蒸発して、爆発する。これが蒸気爆発でものすごいエネルギーです。火山の溶岩が水に入るときと同じ現象です。または溶けた鉄を間違ってこぼして下に水があると爆発する。溶融金属扱うところでは水と接触させるのは最悪だと知っている。蒸気爆発が起こるというのは怖い。普通は蒸気爆発を防ぐためには水を入れないんです。しかし原子炉では水をかけないと冷やせないんですよ。蒸気爆発を覚悟して冷やすんです。蒸気爆発をおきないように冷やさなければいけない。
 事故というのは最悪の組み合わせ。皆さんにお伝えするときに、最悪はこういうことが起きます。でも今はそういうところまで行っていませんというのが大事。今情報がちゃんと出ているとは思えません。問題なのはそういう状況にあるときにどうするか、避難させるときに理由を言わずに非難させるのはおかしい。ありえないというこという人はいますけどこれとこれがあったら可能性が非常に小さいものであってもそれは確率の問題であって、起きるときにはちゃんと起きるんです。何十年というレベルではわからない。何万円、何十万年というデータを取ってはじめてわかるんです。2号機は穴が開いたので水素がたまらなかったのかもしれない。ただ燃料プールがむき出しになっている。そこに使用済みの燃料がおいてあります。冷却機能が失われている。水位が下がっている。地震によって水が外に出て水位が下がっているのかもしれないし、蒸発しているのかもしれない。燃料プールはコンクリートでできているがこれが大きな爆発とか地震が原因で亀裂ができて、コンクリートはもれますから薄い鉄板をしいていますが、これが切れているとそこからどんどん水が漏れる。それが危惧されている。そうすると漏れている量に対して注入している量が多くなければ水は減っていく。今冷却に成功しているのではなくて決して安心できる状態ではない。何とかがんばっている状態だと思う。
 溶融はすでに始まっている。溶融物はやがて格納容器をつきぬける。この段階で大量の放射性物質が出る。冷却に失敗すると、水蒸気爆発、最悪のシナリオは再臨界。核燃料が入っていて運転が止まっていたということは制御棒が入っていたということ。それが溶けて落ちると制御棒と燃料がうまく止まるように混ざってくれているいいが、そうでないとある容積になると、ただあるだけで核反応がまたおこる。制御できない状態で原子炉が再起動するということになる。JCO事故の巨大なものが起きるということ。物理的な可能性としてはありえる。私が心配したのは水蒸気爆発と再臨界。ホウ酸を入れているのは再臨界を防ぐため。爆発すると規模によるが核燃料が遠くまで飛ぶ。今のままの状態が続いて爆発を起こさない場合は時間とともに徐々に出て行く。事象はマイルドだがずーっと出るという事態に追い込まれる。これどこの段階で止めるかが問題。
 いったん外に出た放射線は消えない。濃度は薄まるけどどこかにある。爆発的にボンと行いのと徐々に出るのは違うが地下水にも入るだろうし、生態系にも入る。ただし現在、急速な人体に対する影響はない。影響はあるのは間違いないができるだけ浴びないほうがいいのは事実。


PS(2014年9月14日追加):従軍慰安婦の像を世界に設置され、事あるごとに引き合いに出されるのはまいるが、私も、*5のように、従軍慰安婦については日本軍が慰安所の設置や管理に関与したと考えている。一証言が嘘だったからといって、その事実自体がなかったことにはならないだろう。

*5:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231521-storytopic-11.html
(琉球新報社説 2014年9月13日) 朝日新聞誤報問題 負の歴史は否定できない
 朝日新聞の木村伊量社長が記者会見し、従軍慰安婦に関する報道と東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」をめぐる報道の誤りを謝罪して記事を取り消した。特に慰安婦の問題は報道機関の歴史認識や言論の自由に対する姿勢が問われるもので事態は深刻だ。韓国・済州島で、慰安婦を強制連行したという故吉田清治氏の証言を朝日新聞が初めて報じたのは1982年だった。92年に証言に疑義を呈する報道があったのに検証の機会を逸し、訂正まで32年を要した。木村社長が認めるように「訂正するのが遅きに失した」と言わざるを得ない。しかも、この問題を論評するジャーナリスト池上彰氏のコラムの掲載を拒否した。自由な言論を守るべき報道機関の使命を放棄したに等しく、重大な過ちだ。木村社長が「読者の信頼を損なうような結果に責任を痛感している」と謝罪したのも当然だといえよう。吉田証言は虚偽だったが、朝鮮半島の女性を慰安婦として戦地に駆り出した重大な人権侵害があった事実は変わらない。記事取り消しに乗じて負の歴史を否定する動きが広がることを危惧する。従軍慰安婦に関してはさまざまな証言がある。沖縄戦においても首里城地下に置かれた32軍司令部壕に朝鮮の女性たちがいたことが学徒の証言で分かっている。慰安婦問題に関する93年の河野談話は、日本軍が慰安所の設置や管理に関与したことや、本人の意思に反した慰安婦の募集があったことを認めている。強制連行に関する一証言が否定されても、広義の強制性は否定できない。国立公文書館は昨年、強制連行したオランダ人女性を慰安婦とした旧日本軍将校の裁判記録を開示した。日本兵の性のはけ口となることを女性たちに強いた証言があり、歴史の事実として無視できない。安倍晋三首相はラジオ番組で「(誤報によって)国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実」と述べた。しかし、負の歴史から目を背けては国際社会から信頼を失う。安倍内閣は河野談話を継承する以上、慰安婦問題の全体像を明らかにすべきだ。そのことが国際社会の信頼を得ることにつながる。「吉田調書」の誤報について木村社長は「記者の思い込みと、チェック不足が重なった」と説明した。同じ報道機関として自戒しながら、朝日新聞の検証作業を見守りたい。

| 原発::2014.8~10 | 08:51 AM | comments (x) | trackback (x) |

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