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2012.8.8 内部被ばくの疫学データは、政府及び厚生労働省によって隠されていたのだということ
   
    黒い雨被害者数の分布図        原爆ドーム     窓ガラスを伝った
                                          黒い雨
 広島、長崎への原爆投下後、放射性物質を含む粉じんが、雨で広範囲の地上に降ったことは明らかで、①直接身体に放射性物質があたって障害を起こした人 ②降った放射性物質が水、農作物、魚介類などに入り、それを食べて癌や白血病を起こした人 ③放射性物質を含む粉じんを呼吸で吸い込んで癌を起こした人など、人間が、いろいろな経路で放射性物質を取り込み、癌や白血病などの病気を起こしたことは間違いない。

 しかし、その貴重な疫学データは、*1、*2のように、被爆から67年経つまで存在さえ明らかにされることなく被曝に関する研究を阻んだとともに、被爆者の救済には何の役にも立たなかった。福島原発事故でも、「わからない」とされていることの大半は、わかっているが言えないことなのであろう。

 「国体を維持することが重要なのであって、一人一人の民の命や生活はどうでもよい」というのが、官主主義の判断である。そして、これが、主権者である国民が選挙で選んだ政治家が主導しなければ本当の民主主義が実現しない理由であるが、重要法案の内容について国会で審議を行っている最中に、オリンピックと政局しか報道しなかったメディアも、「依らしむべし、知らしむべからず」を信条とする官の側に立っており、国民に重要な情報を提供しないので、政治主導にもならないのである。

 なお、この記事を書き終わってすぐ、*3のように、「内部被曝や低線量被曝による被害を訴える者は、“心理的被ばく”という半世紀後まで続く精神疾患の状態である」とする新聞報道があった。内部被曝や低線量被曝を原因とする損害賠償請求の封じ込めであろうが、「精神疾患」「心理的疾患」などという病気は、他のあらゆる原因がないことが明確に証明されて初めて言えるものであり、簡単に作ることが許される病気ではない。これを、無批判に受け入れて大々的に報道するメディアは、真の被爆者に対する差別を助長し、民の人権を無視する官の広報版であって、記者の無知ではすまされないものである。

*1:http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0806/ 
 黒い雨 ~活(い)かされなかった被爆者調査~ (NHK 2012年8月6日)
(ポイント)去年の暮れ、長崎の医師の問い合わせをきっかけに、被爆に関する「あるデータ」が突然公表された。原爆投下直後に降った放射性物質を含む雨「黒い雨」に、1万3千人もの人があったことを示す分布地図だ。どこでどれくらいの人が黒い雨にあったか、これまで「公式データ」はないとされてきただけに、広島・長崎は衝撃を受けた。データは、放射線の人体への影響を科学的に明らかにするためにアメリカの研究機関ABCCが集め、研究を引き継いだ放射線影響研究所(放影研)が保管していたものだった。多くの被爆者の協力のもと集められた“命の記録”だが、今まで、このデータを使って黒い雨の影響が研究されることはなかったという。なぜデータは、被爆から67年経つまで、その存在さえ明らかにされなかったのか。調査に協力した被爆者たちは、どんな思いを抱いてきたのか。被爆者追跡調査の歴史を追いながら、その実像に迫っていく。

*2:http://mainichi.jp/opinion/news/20120807k0000m070091000c.html
 記者の目:「黒い雨」被害者切り捨て (毎日新聞 2012年8月7日)
◇国は核被害の実相を見よ
(ポイント)米軍による広島への原爆投下から67年の今夏、「被爆者」と認められるはずの「黒い雨」被害者は切り捨てられた。厚生労働省の有識者検討会は7月、あまたある証言を無視して黒い雨の援護対象区域拡大を否定し、政府もそれを追認した。爆心地から幾重も山を越えた集落を訪ね歩き、原爆の影を背負って生きる人々の話に耳を傾けながら、私は何度、広島の方角の空を見上げただろう。核被害の実相に向き合わない政府に「被爆国」を名乗ってほしくない。「うそを言うとるんじゃない。事実はあるんじゃから」。1945年8月6日、広島の爆心地から約15キロ西の祖父母宅近くで、女性(76)は黒い雨を浴びた。神社で遊んでいると「痛いぐらい」の大雨が降り、その後、毎朝のように目やにが止まらなくなり、爪はぼろぼろに。30代半ばで甲状腺の病気を患い入院、白内障の手術も3回受けた。

*3:http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=33263756
 長崎原爆目撃で心理的被ばく (共同通信社 2012年8月8日 )
1945年8月9日の長崎原爆で、健康被害が出るほどの放射線被ばくはないと国がしている地域で原爆を目撃した人の多くは、半世紀を経ても精神疾患の危険性が高いとの調査結果を、国立精神・神経医療研究センター(東京)が8日までにまとめた。目に見えない放射性物質への不安による“心理的被ばく”と位置付け、その状態が長期間続く現状を示した。福島原発事故でも手厚い心のケアが求められそうだ。

| 内部被曝・低線量被曝::2011.7~2012.8 | 01:53 PM | comments (x) | trackback (x) |

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