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2013.1.12 子どもへの罰がいけないか否かは、時と場合、またやり方による。
(1)何故、自殺せざるを得なかったのか?
 バスケットボール部顧問の教師から体罰を受けていた高校男子生徒が自殺した問題が、いっせいにメディアで報じられたが、私は、*1の「抗議するために自殺せざるを得なかった」という状況が問題だと思った。なぜなら、①主将としての重責に悩むのなら、主将もしくは部活を止める(普通のことをしていたら替りはいくらでもいることを知るのも、社会へ出るための勉強である) ②他の先生に不当性を訴えてやめさせる(社会人予備軍の高校生ともなれば、おかしなことには論理的に抗議する力もつけていなければならない) ③親に不当性を訴えて学校に言ってもらう(親も、おかしなことにはきちんと抗議して子どもを守らなければならない) など、命を粗末にしなくてすむ方法も考えられるからである。高校で、筋道を立てて抗議することができなかったり、命の大切さを教える教育がなされていなかったりしたのであれば、それこそが重要な問題だ。

(2)体罰の定義は何か?
 確かに、「顧問が発奮させようと平手打ちした」というのは、私にも意味のない暴力のように見える。何故なら、平手打ちすれば発奮するというものではないからだ。しかし、一方で、*3のように、「教室の騒がしさが今までになく、離職する教師もいるほど。私には“学級騒乱”といった方がぴったりする」という事態も起こっている。そのため、他の子どもに迷惑をかけず、また、その子をしつけるために、罰が必要な場合もある。そこで、教える側には、どのような場合に、どのような罰ならよいのか、悪いのかを判断する力が求められるが、この社会の雰囲気では、厳しく教育することは、教える側にリスクを伴いやすく、これも問題である。そこで、*2のように、文部科学省18、文科初第1019号(平成19年2月5日)「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」というのがあり、「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」が示されている。

(3)自分の経験から → 子どもは天使ではなく、しつけをすべきものである。
 私は、小学校の時に下のような経験をした。そのため、先生には、適切で厳しい対応を行って、しつけをする能力も求めたいし、社会は、それを受け入れなければならないと思っている。
1)小学校6年生の時
 放課後の掃除の時間、必ず掃除をさぼり、机を引いた広いスペースで暴れている2~3人の男子児童がいた。学級委員だった私は、相当の期間、口で注意したり先生に言ったりしていたが、言うことは聞かれず、私は、ついに、その2~3人の男子児童を相手にとっくみあいの喧嘩をする羽目になった。小学6年生の女子児童が、同年の2~3人の男子児童を相手にとっくみあいの喧嘩をしなければならないのは負担である。こういうのは、先生が注意して直してもらわなければ、他の児童に迷惑である。

2)小学校3年生の時
 2歳年下の妹が1年生になっていたが、ある日、私の同級生の男子児童が、私に「妹さんが、砂場でいじめられよる」と知らせに来てくれた。私は、「だったら自分が止めてよ」と言ったのだが、その男子児童は動く気配がなかったため、私が砂場に走っていくと、妹が2人の1年生の男子児童にいじめられて泣きながら闘っていた。そのため、私が、妹からその男子児童たちを引き離して砂場に放ったら、「こわかー」と言って2人とも逃げて行ったが、男の子2人を相手に筋力で闘うのは、私も大変だった。こんなのは、先生が注意して直してもらいたい。

3)小学校1年生の時
 学級委員だった私が、教室の後ろで騒いでいる数人の男子児童を止めていたら、先生が入ってきて、何故か、私が立たされてしまった。どうしてそうなったのかわからないが、先生は、誰が悪いのかを、きちんと確かめてから罰を与えてもらいたい。そうでないと、単なる人権の侵害だ。なお、私の場合は、小学1年生でも抗議したが、聞かれなかった・・。 ぷん

 そして、児童・生徒は、そのようなことを50年以上経っても覚えているほど、先生の存在は大きく、教育は人生に影響を与え、そこで教育された人々が社会を動かしているのである。

*1:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013011102000147.html
(東京新聞社説 2013年1月11日) バスケ部主将の自殺 学校に体罰はいらない
 いじめに続いて今度は教師の体罰である。学校現場が子どもを死へと追いやる舞台となってしまっている。大人の責任で教育の在り方を問い直さねば。昨年十二月二十三日。大阪市立桜宮高校二年生でバスケットボール部の主将を務めていた男子生徒が自宅で自殺していたことが明らかになった。市教育委員会が今月八日になって公表したのだ。顧問の男性教諭から体罰を受けてつらいこと、主将としての重責に悩んでいること…。手渡せずに残されていた顧問宛ての手紙には、そんな苦しい板挟みの心境がつづられていたという。
◆体罰が横行している
 桜宮高は普通科に加え、特色のある体育科とスポーツ健康科学科を設けている。スポーツ系部活動が盛んだ。大舞台での活躍を夢見て入学する生徒が多いという。男子バスケ部は、過去五年に三回インターハイに出場した実績を誇る。バスケが大好きで、テスト期間中でさえ自主練習に励んでいたという男子生徒。その無念さを思うと胸がつぶれる。自殺の前日、練習試合に負けて帰った男子生徒は「今日もいっぱい殴られた。三十発から四十発かな」と母親に打ち明けた。顧問は発奮させようと平手打ちしたというが、遺体の頬は腫れ、唇が切れていたというから尋常ではない。自殺後のバスケ部員五十人へのアンケートでは、二十一人が体罰を受け、四十八人が主将を除くほかの部員への体罰を見ていた。殴る、蹴るといった暴力が常態化していたのは間違いなく、自殺の引き金になった可能性が高い。橋下徹大阪市長が「事実なら犯罪だ。完全な暴行、傷害だ」と憤慨したのも当然だろう。桜宮高では、かつて男子バレーボール部でも顧問の男性教諭が体罰を加え、停職処分を受けていた。全校的な体罰の全容を調べ、再発を防がねばならない。
◆教育責任の放棄だ
 教育的指導の名の下で行われる体罰は、旧日本軍をほうふつさせるが、過去の話でも、桜宮高に限った話でもない。文部科学省の調べでは、全国の公立小中高校や特別支援学校で二〇一一年度に体罰を理由に処分された教職員は四百四人に上る。三割程度が部活動絡みだった。最近十年間は四百人前後で推移していて大きくは減っていない。この数字が実態を反映しているかは疑わしい。桜宮高のバスケ部での体罰情報は一一年九月に市の公益通報窓口を介して市教委に寄せられていた。ところが、高校は顧問の否定的な言い分をうのみにして「体罰はなかった」と結論づけていた。自殺前日の練習試合では、副顧問ら教員二人が近くで顧問の体罰を目撃していた。けれども、二人ともバスケ部出身の卒業生で、恩師であり、上司である顧問に異論を挟めなかったらしい。これでは体罰情報が闇から闇へ葬られていたと言うほかない。文科省の統計に表れない水面下の体罰は想像以上に多発しているのではないか。いじめと同様に徹底した全国調査が必要だ。生徒への聞き取りを含めて踏み込んで調べていれば、副顧問らが勇気を出して顧問をいさめていれば…。悲劇を防ぐ手だてはあったに違いないと悔やまれる。学校現場も市教委も体罰を軽く考え、事態を放置してきたのではないのか。組織防衛や自己保身の意識が先に立ち、穏便に済ませようと意図したのではないのか。大津市であった中学二年の男子生徒のいじめ自殺の問題で、後ろ向きの対応に終始して批判された中学校や市教委とそっくりの事なかれ主義が透けて見える。とりわけスポーツの強豪校では、戦績を挙げるために教育的指導の名の下で体罰が黙認される風潮が強いという指摘がある。問題となった顧問は桜宮高を強豪校に育て上げ、高校バスケ界に名前をとどろかせた。功労者としての特別扱いなのだろう、市教委は一九九四年から十八年間も桜宮高に勤務させていた。人事の公正さが損なわれたのではないか。顧問のやり方を熱意による「愛のムチ」と思い込み、周りが一切口出しできない閉鎖的な環境が出来上がっていた恐れがある。
◆死を無駄にするな
 学校現場での体罰は学校教育法で禁止されている。身体的に苦痛を与えたり、恐怖心をあおったりしても、子どもとの信頼関係が築けないからだ。体罰に訴えなければ指導できないようでは、それは教師としての未熟さや力量のなさの証明だ。そもそも教師失格なのである。

*2:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm (文部科学省 18文科初第1019号 平成19年2月5日) 問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)
 いじめ、校内暴力をはじめとした児童生徒の問題行動は、依然として極めて深刻な状況にあります。いじめにより児童生徒が自らの命を絶つという痛ましい事件が相次いでおり、児童生徒の安心・安全について国民間に不安が広がっています。また、学校での懸命な種々の取組にもかかわらず、対教師あるいは生徒間の暴力行為や施設・設備の毀損・破壊行為等は依然として多数にのぼり、一部の児童生徒による授業妨害等も見られます。(中略)
<学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方>
1 体罰について
(1)児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。
(2)(1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(3)個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。
(4)児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。
(5)有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。
  ○ 放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を
    過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。
  ○ 授業中、教室内に起立させる。
  ○ 学習課題や清掃活動を課す。
  ○ 学校当番を多く割り当てる。
  ○ 立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。
(6)なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
2 児童生徒を教室外に退去させる等の措置について
(1)単に授業に遅刻したこと、授業中学習を怠けたこと等を理由として、児童生徒を教室に入れず、教室から退去させ、指導を行わないまま放置することは、義務教育における懲戒の手段としては許されない。
(2)他方、授業中、児童生徒を教室内に入れず、教室から退去させる場合であっても、当該授業の間、その児童生徒のために当該授業に代わる指導が別途行われるのであれば、懲戒の手段としてこれを行うことは差し支えない。
(3)また、児童生徒が学習を怠り、喧騒その他の行為により他の児童生徒の学習を妨げるような場合には、他の児童生徒の学習上の妨害を排除し、教室内の秩序を維持するため、必要な間、やむを得ず教室外に退去させることは懲戒に当たらず、教育上必要な措置として差し支えない。
(4)さらに、近年児童生徒の間に急速に普及している携帯電話を児童生徒が学校に持ち込み、授業中にメール等を行い、学校の教育活動全体に悪影響を及ぼすような場合、保護者等と連携を図り、一時的にこれを預かり置くことは、教育上必要な措置として差し支えない。

*3:http://sankei.jp.msn.com/life/news/120121/edc12012107550002-n1.htm (MSN産経ニュース 2012.1.21) TOSS代表・向山洋一 全国に広がる新型学級崩壊
 全国各地の教室で、今まで見たことのない学級崩壊が続出している。これまでの学級崩壊は、新卒教師や未熟な教師の教室で生じていた。ところが最近は、評判の良かったベテラン教師、学校の中心になってきた教務主任などの教室でも起こる。教室の騒がしさが今までになく、離職する教師もいるほど。私には「学級騒乱」といった方がぴったりする。
 原因は不明だ。ただ、一つや二つの原因ではない。多重的だ。学校が壊れていくこの現象に、私は「新型学級崩壊」と名付けた。分かっている限りの現象を紹介する。東北地方の静かな農村。1学級35人。そのうちシングルマザーは11人でシングルファザーが2人の学級だ。親は働くのに忙しく「子供に教える」ことをとばして、叱り、どなり、たたいて育てる。子供は学校で、友達をたたきまわる。東京の高級住宅街。かつて、親からたたかれた子はクラスで2、3人だった。今は、たたかれない子が2、3人だ。両親の間で子育ての押しつけあいが目立つ。「子供をどう育てるのか」という知識、親学ともいうべきものが欠如している。子供の前で担任の悪口を言う親がいる。かつてそんなことはなかった。親から担任の悪口を聞いた子供は、教師の言うことを全く聞かなくなる。担任を「クソババア」と、どなりちらすようになる。携帯電話で「担任の悪口、風評」を流す親がいる。そのような親のため学級崩壊したクラスは多い。被害は自分の子供に及ぶのである。教師に責任があることも多い。

| 教育・研究開発::2012.4~2013.10 | 01:02 PM | comments (x) | trackback (x) |

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