■CALENDAR■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<前月 2024年11月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■OTHER■
左のCATEGORIES欄の該当部分をクリックすると、カテゴリー毎に、広津もと子の見解を見ることができます。また、ARCHIVESの見たい月をクリックすると、その月のカレンダーが一番上に出てきますので、その日付をクリックすると、見たい日の記録が出てきます。ただし、投稿のなかった日付は、クリックすることができないようになっています。

竹木場校区敬老会



竹木場校区で敬老会があり、参加しました。

私は、祖父母と過ごした時間が長かったので、お年寄りが生き生きと老後を過ご
され、スポーツや各種の行事に参加して活動的に暮らしていらっしゃり、地域で、
シルバー人材として経験を生かして活躍されたりして、元気で幸せに暮らしてい
らっしゃると嬉しく感じます。
 
総務省の発表では、我が国は、65歳以上の方々が総人口の20パーセント以上を
占める長寿社会となったそうですが、長生きになったということは、それだけ身体が
健康だということですから、なるべく社会に参加し、役割を持っていることが、お年寄
りの気力や健康の維持にとって良いわけです。

国においては、高齢化社会に対応して、様々な施策が論議されています。その中で、
医療や介護については、まだ、不十分な点が多いので、今年は私も、日本と佐賀県
の医療・介護・福祉の体制整備に、本格的に取り組んでいこうと思っています。

また、21世紀は、街づくりも、老人、子ども、身体の不自由な人など誰もが住みやす
いユニバーサルデザインで進めることになっており、「バリアフリー化」が推進されて
います。

これまで、我が国の発展を支えてこられた高齢者の皆様が、これからも元気で幸福
な暮らしができるよう、制度の充実に取り組んでいきたいと思っております。



| 主に衆議院議員時代の活動 | 04:22 PM | comments (x) | trackback (x) |
平成19年 北波多消防団出初式



北波多消防団の出初式に参加しました。

昨年は集中豪雨及び台風13号による災害があり、台風の最中の見回りや
被害後の後片付け、その後の被害状況の調査など、消防団の皆様には、
大変な活躍をしていたただき、そのありがたさが、いっそう感じられた1年
でした。

台風の後、市、農協、漁協や消防団の皆様の迅速な被害状況の調査の
おかげで、佐賀県だけで350億円もの被害のあることが1ヶ月後の10月に
は判明し、福岡県、長崎県、の被害の調査結果とあわせて、11月の始め
には、激甚災害の指定を受けることができました。

そして、12月中に農業共済金の支払いが行われ、この3月には、多くの
特別交付金を国から支出していただくことができました。これで、被災され
た皆様の負担が少なく、また、土砂崩れや水害のあった地域での改善
復旧が進むことを、私は、心から喜んでおります。

消防団の皆様には、今後とも、不屈の精神のもと、地域住民の安心・安全
を守るために活躍されることを心よりお願いいたします。

また、保育園児による子ども消防団のかわいい行進もありましたが、今後は、
安全・安心のためには、一人暮らしの老人に声かけをする、子供を見守る、
などのことも必要です。できれば、地域の安全・安心を守るという観点から、
消防団員に女性部をつくって、このような活動を行ってはどうかと思います。



| 主に衆議院議員時代の活動 | 04:19 PM | comments (x) | trackback (x) |
北波多岸岳古窯跡の盗掘対策について




北波多岸岳古窯跡の盗掘について、対策をとってくれるようにという、
陳情がありました。

北波多村は、唐津市と伊万里市の間で、佐賀県西北部の東松浦半島
の扇の要に位置し、中世末期には、戦国大名への歩みを始めた、
「波多氏」の本拠地として栄え、数多くの遺跡が残っています。
 
波多氏は平安時代末期より肥前松浦郡を中心に活動した、嵯峨源氏と
称する「松浦党」の一員とされ、南北朝以来しだいに力を貯え、戦国時
代には上松浦党の盟主として、一時期、長崎県壱岐をもその支配下に
置くほどの勢いを示しました。

 岸岳古窯跡とはこの波多氏の居城である岸岳城(城域長約1.5kmの
大規模な山城)の周辺に分布する窯跡の総称で北波多村に皿屋窯、
帆柱窯、飯洞甕上・下窯の4窯が、相知町には道納屋窯、平松窯、大
谷窯の3窯がそれぞれ確認されています。これらは、波多氏が朝鮮半
島の陶工を招聘して築いたと伝えられ、諸説があるものの、その始まり
は1580年代頃と考えられています。なお、昨年調査した皿屋上窯をこの
中に含めると、岸岳周辺には合計8つの窯が存在したことになります。

 文禄元年(1592年)波多三河守親は、兵2千人(750騎とも伝えられる)
と共に鍋島氏の麾下として渡鮮し、武勲も挙げたとされますが、同3年
(1594年)帰国の船上で突然改易を告げられ豊臣秀吉により当主の親は、
筑波山麓に配流されたと伝えられています。これにより波多氏の庇護を
失った岸岳古窯の陶工達は各地へ離散し、唐津市の小十古窯や浜玉町
の山瀬窯などを築いたともいわれています。

この窯跡は、現在、文化財に指定されていますが、窯跡からの盗掘が絶
えず、これに対策をこうじてもらいたいというのが陳情の趣旨でした。



| 主に衆議院議員時代の活動::地元での活動 | 02:57 PM | comments (x) | trackback (x) |
北波多文連まつり


北波多に行ったついでに、「文連まつり」を拝見し、ご挨拶をさせて
いただきました。



| 主に衆議院議員時代の活動::地元での活動 | 02:56 PM | comments (x) | trackback (x) |
宝満さくら祭り




宇木で、「宝満さくら祭り」があっていたので、参加しました。

今年は、予定より桜の開花が遅かったとのことで、桜は
まだちらほらでしたが、皆さまの会話は、弾んでいました。



| 主に衆議院議員時代の活動::地元での活動 | 02:50 PM | comments (x) | trackback (x) |

PAGE TOP ↑