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2007,03,25, Sunday
竹木場校区で敬老会があり、参加しました。 私は、祖父母と過ごした時間が長かったので、お年寄りが生き生きと老後を過ご され、スポーツや各種の行事に参加して活動的に暮らしていらっしゃり、地域で、 シルバー人材として経験を生かして活躍されたりして、元気で幸せに暮らしてい らっしゃると嬉しく感じます。 総務省の発表では、我が国は、65歳以上の方々が総人口の20パーセント以上を 占める長寿社会となったそうですが、長生きになったということは、それだけ身体が 健康だということですから、なるべく社会に参加し、役割を持っていることが、お年寄 りの気力や健康の維持にとって良いわけです。 国においては、高齢化社会に対応して、様々な施策が論議されています。その中で、 医療や介護については、まだ、不十分な点が多いので、今年は私も、日本と佐賀県 の医療・介護・福祉の体制整備に、本格的に取り組んでいこうと思っています。 また、21世紀は、街づくりも、老人、子ども、身体の不自由な人など誰もが住みやす いユニバーサルデザインで進めることになっており、「バリアフリー化」が推進されて います。 これまで、我が国の発展を支えてこられた高齢者の皆様が、これからも元気で幸福 な暮らしができるよう、制度の充実に取り組んでいきたいと思っております。
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2007,03,25, Sunday
北波多消防団の出初式に参加しました。 昨年は集中豪雨及び台風13号による災害があり、台風の最中の見回りや 被害後の後片付け、その後の被害状況の調査など、消防団の皆様には、 大変な活躍をしていたただき、そのありがたさが、いっそう感じられた1年 でした。 台風の後、市、農協、漁協や消防団の皆様の迅速な被害状況の調査の おかげで、佐賀県だけで350億円もの被害のあることが1ヶ月後の10月に は判明し、福岡県、長崎県、の被害の調査結果とあわせて、11月の始め には、激甚災害の指定を受けることができました。 そして、12月中に農業共済金の支払いが行われ、この3月には、多くの 特別交付金を国から支出していただくことができました。これで、被災され た皆様の負担が少なく、また、土砂崩れや水害のあった地域での改善 復旧が進むことを、私は、心から喜んでおります。 消防団の皆様には、今後とも、不屈の精神のもと、地域住民の安心・安全 を守るために活躍されることを心よりお願いいたします。 また、保育園児による子ども消防団のかわいい行進もありましたが、今後は、 安全・安心のためには、一人暮らしの老人に声かけをする、子供を見守る、 などのことも必要です。できれば、地域の安全・安心を守るという観点から、 消防団員に女性部をつくって、このような活動を行ってはどうかと思います。
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2007,03,25, Sunday
北波多岸岳古窯跡の盗掘について、対策をとってくれるようにという、 陳情がありました。 北波多村は、唐津市と伊万里市の間で、佐賀県西北部の東松浦半島 の扇の要に位置し、中世末期には、戦国大名への歩みを始めた、 「波多氏」の本拠地として栄え、数多くの遺跡が残っています。 波多氏は平安時代末期より肥前松浦郡を中心に活動した、嵯峨源氏と 称する「松浦党」の一員とされ、南北朝以来しだいに力を貯え、戦国時 代には上松浦党の盟主として、一時期、長崎県壱岐をもその支配下に 置くほどの勢いを示しました。 岸岳古窯跡とはこの波多氏の居城である岸岳城(城域長約1.5kmの 大規模な山城)の周辺に分布する窯跡の総称で北波多村に皿屋窯、 帆柱窯、飯洞甕上・下窯の4窯が、相知町には道納屋窯、平松窯、大 谷窯の3窯がそれぞれ確認されています。これらは、波多氏が朝鮮半 島の陶工を招聘して築いたと伝えられ、諸説があるものの、その始まり は1580年代頃と考えられています。なお、昨年調査した皿屋上窯をこの 中に含めると、岸岳周辺には合計8つの窯が存在したことになります。 文禄元年(1592年)波多三河守親は、兵2千人(750騎とも伝えられる) と共に鍋島氏の麾下として渡鮮し、武勲も挙げたとされますが、同3年 (1594年)帰国の船上で突然改易を告げられ豊臣秀吉により当主の親は、 筑波山麓に配流されたと伝えられています。これにより波多氏の庇護を 失った岸岳古窯の陶工達は各地へ離散し、唐津市の小十古窯や浜玉町 の山瀬窯などを築いたともいわれています。 この窯跡は、現在、文化財に指定されていますが、窯跡からの盗掘が絶 えず、これに対策をこうじてもらいたいというのが陳情の趣旨でした。
| 主に衆議院議員時代の活動::地元での活動 | 02:57 PM | comments (x) | trackback (x) |
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2007,03,25, Sunday
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2007,03,25, Sunday
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