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2012.9.7 原発維持派・推進派の屁理屈に注意せよ! ― 国の保護を受けた地域独占企業である電力会社の企業努力が如何に足りないかがわかる事例(2)
  
      天然ガス価格比較(日本・韓国・中国)       原発事故後に帰るか否か(河北新報)

 下の*1、*2の記事は、全くそのとおりである。それに加えて、上の左のグラフのように、現在、LNGを日本は高値買いしており、価格交渉はしていない。その理由は、電力会社は総括原価方式で会計処理を行い、原価に一定の利益を上乗せして料金を決めることができるため、燃料を安く買って原価を削減するというインセンティブが働かないからである。そして、「原発を止めたら、燃料費が高いため、電力料金の大幅値上げが避けられない」「それでは、製造業が出て行き、わが国は空洞化して雇用がなくなる」と屁理屈を言っているのだ。

 また、右の表は、福島第一原発事故後、ふるさとを失った人たちに「帰るか否か」というアンケートをとったもので、帰ることが可能な状況ではないにもかかわらず、帰ると答えている人も多い。原発事故は、一度起こせば、これだけ多くのものを失うということを忘れてはならない。

 そこで、電気料金を下げる方法は、電力会社の地域独占を廃して健全な電力市場を作ることである。そうすれば、他産業と同様、企業は、如何にニーズに合ったよい製品を作って安く販売するかを工夫し、企業の社会的責任として環境に配慮するようになる。何故ならば、そうしなければ、生き残れないからだ。

 わが国の製造業が国内で成り立たなくなった理由は、円高、電力料をはじめとする公共料金の高止まり、作り出すものの付加価値や生産性を超える賃金水準である。そして、これを解決する方法は、言うまでもなく、原発の維持・推進ではない。それでは、何でしょうか? 解答は、夏休みの宿題です。

*1:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012090202000106.html (東京新聞 2012年9月2日) 【社説】週のはじめに考える 「エネルギー選択」の虚構
 今年の夏は「原発ゼロ」でも大丈夫でした。政府は近く、二〇三〇年のエネルギー選択を提示する予定ですが、今夏の実績をどう受け止めるのか。まるで拍子抜けするような結果です。政府や電力会社は夏を前に「原発が動かなければ大停電になる」とか「日本経済が大混乱する」と言い続けてきました。野田佳彦首相が「仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます」とまで言い切って、関西電力大飯原発の再稼働を決めたのは六月八日です。
◆夏の電力は余っていた
 ところが本紙報道(八月二十九日付一面)によれば、関電管内では二十六日までの八週間で事前の需要予測を10%も下回り、原発なしでも余力があったことが分かりました。関電の広報担当者は「節電効果があり、現時点では原発がなくても供給力は維持できた」と認めています。
これは予想とか分析ではなく、「はっきりした事実」です。政府の見通しは外れました。さてそうなると、多くの人が次のように考えるのは当然です。「今年の夏が大丈夫だったなら、なにも無理して原発を動かさなくてもいいのでは?」それほど原発事故の怖さは身に染みました。なにより故郷を追われた十六万人の「さまよう人々」が、いまも不安ややり場のない怒りと葛藤しているのです。素朴な疑問こそ本質を突いている。政府は人々の問いに真正面から答える必要があります。政府は六月末、三〇年の原発依存度を「0%にする」「15%にする」「20~25%にする」という三つの選択肢を示しました。これを基に、近くエネルギー戦略をどうするか決める予定です。
◆倒錯している政策手順
 どんな場合でも、将来の政策を考えるには、まず現状が前提になります。いまの時点で電力は足りているのかいないのか。原発の安全はきちんと担保されているのか。それが議論の出発点です。関電の電力需給は「余力があった」と判明しました。それだけではありません。独自に問題を検証している大阪府市・エネルギー戦略会議の調査では、西日本の六電力合計で約一千万キロワット分も余剰電力があったことが分かっています。万が一、関電だけでは足りなくなっても、各社でやりくりすれば十分な数字です。そうであるなら、三〇年を待たずに「いますぐゼロ」という選択肢だってあるはずです。少なくとも、議論のテーブルに上がっていなくてはおかしい。
 そもそも安全を担保する体制を整えないまま、三〇年の原発依存度を数字で決めようという姿勢が根本的に間違っています。原発を再稼働するなら安全を最優先にしなければなりません。ところが大飯原発を再稼働させた基準は泥縄式で決めた暫定措置でした。野田首相自身が記者会見で「これから三十項目の安全対策をやる」と言っています。それ自体、とんでもない話なのですが、それに加えて十八年後の原発依存度まで決めてしまおうとしている。先に数字を決めてしまったら、目標達成が最優先になって肝心の安全基準作りや基準順守がなおざりになる懸念がある。それでは元のもくあみです。原発を動かすなら、まず安全確保体制を整えて、それから国民の理解を得る。依存度が決まるのは結果にすぎません。つまり手順が完全に逆なのです。15%などの数字を決めた政府の審議会も形ばかりでした。それは議論をしている最中に、野田首相が「原発は単に夏の電力確保のためだけでなく、社会全体の安定と発展のために引き続き重要だ」と発言した一件で明白です。「先に結論ありき」なのです。
 こういう政策手順の倒錯は消費税引き上げの経過ともよく似ています。本来、増税しようというなら、まず政府の無駄や非効率を改め使途を明確にして、国民に理解を求めなければなりません。ところが実際は公約破りに加えて、肝心の社会保障制度改革を後回しにした。その揚げ句、増税法案が成立したとたんに最初の話になかった公共事業拡大の大合唱です。だから国民は政府を信用しない。それが野田首相には分からないのでしょうか。
◆過小評価の原発コスト
 「原発を止めたら電力料金の大幅値上げが避けられない」という話も「増税しないと国債が暴落する」話にそっくりです。大本の燃料コスト削減に傾注すべき政策努力を棚上げして、脅し文句を並べるのはやめていただきたい。政府のコスト試算には被災者への賠償や除染、廃炉にかかる費用も極端に過小評価されています。議論の出直しが必要です。

*2:http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201209072810.html (愛媛新聞社説 2012年9月7日) 新エネルギー政策 原発ゼロの時期明示が必要だ
 政府は、近く決定する新しいエネルギー政策で「原発ゼロ」の目標を打ち出す検討を進めている。 その課題や影響に関する試算が政府の「エネルギー・環境会議」で示されたのだが、電力需給の切迫で国民負担が倍増するといった難題ばかり強調されている。意見聴取会などで明らかになった「原発ゼロ」を求める国民の多数意見に冷水を浴びせる内容だ。 財界が反発し、民主党内にも早期の「原発ゼロ」への慎重論が根強い。政府は、2030年時点の原発比率を15%以下に引き下げ、最終的に「ゼロ」を目指す曖昧な決着に傾きかけている。だが、これでは原発依存復活の余地を残す結論先送りだ。
 根源的なことを忘れていないか。東京電力福島第1原発で事故は実際起きた。巨大な放射能災害が進行中だ。地震列島に「絶対安全」はない。核のごみは何万年も厳重管理しなくてはならない。 こういう事態を生んだ社会の在り方を反省し、社会を変えるための「原発ゼロ」だ。いつまでにゼロにするか、政府には決める責任がある。時期を明示し、どう実現させるか、結論から逆算して責任ある工程を描かねばならない。 2030年に原発をゼロにした場合、家計の光熱費は、2010年と比べて倍増し月額3万2000円、再生エネ拡大や省エネ投資は計150兆円に上ると政府は試算したが、経済産業省の従来試算の焼き直しで疑問を感じざるを得ない。民主党内からも不満が出たのは当然だ。 再生エネや省エネの技術革新や普及が進めば、コストダウンやエネルギー消費低減が進むだろう。効果を精査するべきだ。その上で、地域独占の電力会社がコストに利益を上乗せできる総括原価方式を見直し、発電と送配電の分離など電力自由化を急ぎ、料金抑制にも努める必要がある。
 使用済み核燃料をどうするかは、より根本的な課題だ。原発ゼロで核燃料サイクル政策の存在理由がなくなれば、再利用を前提に青森県が受け入れてきた使用済み核燃料は「核のごみ」になり、各原発に返還される可能性がある。 そうでなくても、多くの原発は使用済み燃料プールが満杯になりつつある。問題を先送りしてきたツケだ。既に破綻している核燃サイクルから撤退し、「核のごみ」をどう最終処分するか、場所や技術開発について、全国が当事者となって正面から向き合わねばならない時期が来ている。
 そのためにも、政府は原発ゼロの時期を明示して、覚悟を決めなくてはならない。 この夏、電力は足りた。国民の節電努力の結果であるとともに、過剰な電力消費生活と決別する意思の表れでもあろう。原発ゼロ社会の素地はできている。

| 原発::2012.8~9 | 06:46 AM | comments (x) | trackback (x) |

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