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2012,02,28, Tuesday
* http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f26bf54acb9ff8921a605c6e57cc2228
福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)報告書 記者発表USTREAM 2012年2月28日 (NHKの報道より) (1)民間の事故調査委員会「福島原発事故独立検証委員会」は、2月28日午後、東京・千代田区の日本記者クラブで記者会見を開き、委員長を務める科学技術振興機構の前理事長、北澤宏一氏が、当時の菅総理大臣の事故対応について、「原発から撤退したいと申し出てきた東京電力に対し、みずから本店に乗り込み、げきを飛ばして、結果的に50人の作業員が原発に残ることになったことについては、最悪のシナリオを避けられたこともあり、功績は大きかったと思うところもある。しかし、菅前総理大臣が電池の大きさひとつにまで関与するなど、官邸によって行われた現場への過剰な介入のほとんどについては、評価することができない。さらに菅前総理大臣は、情報の出し方に失敗し、国民の間に不信感が広がることになり、全体的には対応は不合格だったと言わざるをえない」と述べました。 批判1:首相が、電池(バッテリーと書く方が正しいのに電池と書いたのは悪意?)の大きさにまで口を出さなければならなかった理由は、地震や津波による全電源喪失という事態を“想定外”にしていた東京電力や原子力安全保安院のこれまでの楽観論や危機管理の杜撰さがあるからであって、管首相は、その中ではよくやったと思う。運搬や自衛隊出動などの省を超えた対応は、官邸にしかできないのだから、官邸に情報を上げることこそ必要不可欠だったはずだ。しかし、官邸にはタイムリーに的確な情報を上げなかったそうであり、それこそが批判されるべきである。 批判2:また、事故が起こったら責任を持って収拾するという意識もなく、「原発から撤退したい」と申し出るような物事の重大性をわきまえない東京電力の従業員は、今後とも原発など扱う資格はない。何のために給料をもらっていたのか、よく考えるべきである。 批判3:対応が不合格なのは、SPEEDIなどの情報があることをすぐ官邸に伝えず、東北・関東一円の住民に無駄な被曝をさせた文部科学省の官僚にある。何でも、政治家に責任を押し付ければよいという発想こそ改めなければ、今後とも本当の問題解決はできない。 (2)一方、委員の1人で、元検事総長の但木敬一氏は、「国が作り出した絶対的な安全神話は、反原発運動に対抗する道具として使われた。ところが、国は、その安全神話にみずから縛られて、最新の技術的な知見を取り入れることさえできない体質に陥っていた」と指摘しました。 批判4:原発が安全なわけはなく、その原発を扱う人は、危機管理の技術や準備があるだろうと思って目をつぶっていただけである。特定の人の行動を、“国”と一括して言わないで欲しい。 (3)さらに、但木氏は、今後も原子力を使い続けるべきかという質問に対し、「風力や太陽光などの自然エネルギーによる代替が難しいなかでは、われわれの生活を縮小するか、原子力を使い続けるかのどちらかを選ばざるをえない。原子力を使い続けるのならば、今回の事故原因をきっちりと究明して、一つ一つの原発について、危機管理の対策を立て、管理がきちんと実行される体制を作ることが必要だ」と述べました。 批判5:「風力や太陽光などの自然エネルギーによる代替が難しい」「今回の事故原因をきっちりと究明して、一つ一つの原発について、危機管理の対策を立て、管理がきちんと実行される体制を作ることが必要」としている点で、原発推進派であり、技術進歩によるエネルギー政策の転換を考慮していない。 *参考1 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/289929 (西日本新聞 2012年3月3日) (要点)東京電力福島第1原発事故5日目の昨年3月15日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測について、当時の高木義明文部科学相ら政務三役や文科省幹部が協議し「一般にはとても公表できない内容と判断」と記した内部文書が作成されていたことが2日、同省関係者への取材で分かった。文科省は「事務方が作ったメモだが不正確。公表の具体的な判断はしなかった」と内容を一部否定している。事故直後のSPEEDIの試算公表をめぐる文科省の議事録などは公表されていなかった。 *参考2 http://www.asahi.com/national/update/0304/TKY201203030630.html?ref=rss&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter (朝日新聞デジタル 2012年3月4日) (要点)経済産業省原子力安全・保安院のチームが、東京電力福島第一原発事故から1週間後には、1~3号機の原子炉内の核燃料は溶け落ちて炉心溶融(メルトダウン)したと分析していたことが、朝日新聞が情報公開請求した文書でわかった。ただし公表はされず、国が炉心溶融を認めたのは事故から2カ月後だった。分析を国民への説明などの初期対応に生かせなかった。
| 報道の問題点::2011.7~2012.4 | 01:20 PM | comments (x) | trackback (x) |
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