左のCATEGORIES欄の該当部分をクリックすると、カテゴリー毎に、広津もと子の見解を見ることができます。また、ARCHIVESの見たい月をクリックすると、その月のカレンダーが一番上に出てきますので、その日付をクリックすると、見たい日の記録が出てきます。ただし、投稿のなかった日付は、クリックすることができないようになっています。
2012,05,18, Friday
(1)わが国の戦後GDP成長率の推移 上の左のグラフは、1956年~2004年までの日本のGDP(国内総生産)の成長率である。このグラフによれば、1956年~1973年の第一ステージの間には、実質GDP成長率は平均9.1%と高く、1973年のオイルショックで、-0.5%に落ちて後、1974年~1990年の第二ステージの間は、実質GDP成長率は平均3.8%くらいであり、1991~2009年の第三ステージの間には、平均0.8%となった。また、右のグラフは、戦後日本の主要耐久消費財普及率の推移である。 第一ステージの高度成長期には、東京、大阪、名古屋の三大都市圏へ著しく人口が集中し、 産業では、石油化学を始めとする重化学工業が進展した。こうした中で、種々の公害問題(環境問題)が顕在化してきた。そして、1973年は、老人医療無料化等の福祉元年といわれた年であった。また、公害問題に対する批判から新たな豊かさの指標探しも1970年代当初から模索されていた。このように経済成長の成果を真に享受しようとし始めた矢先に、1973年にオイルショックに見舞われたのである。 第二ステージの安定成長期は、1973年のオイルショック以降に出現し、環境対策と省エネルギー対策が進められ、強い国際競争力を形成して対米輸出を増加させた。そして、これは日米貿易摩擦をもたらし、1985年9月に行われたプラザ合意を契機に、超低金利の余剰資金が株・土地に流入し、わが国はバブル経済となった。 第三ステージのバブル崩壊以降、1991~2009年の間には、GDP成長率が年平均0.8%となり、政府は、企業を直接的・間接的に支援するとともに、景気浮揚策として公共投資を継続して、膨大な赤字に陥って現在に至っている。 (2)わが国GDPの高度成長は、どうしてもたらされたのか 第一ステージの高度成長期は、戦争で多くの財産を失った後の復興期に、電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機、カラーテレビなどの新しく便利で近代的な耐久消費財が出現して一般に普及し、1970年頃に、普及し終わった過程である。これは、生活の質を上げる必需品であったため、国民は、無理をしてでも買い、耐久消費財だけでなく、いろいろな工業製品がこのような動きをしながら普及していった。これは、戦後、共産主義体制をとっていた国で、解放後のこの20年間に起こった経済成長と同じであり、わが国のみで特別に起こった現象ではない。 第二ステージの安定成長期には、乗用車、ルームエアコン、電子レンジが1990年までに急速に普及し、それ以後は、なだらかな曲線となって2000年頃に90%の普及率となって安定している。ここでも、調理に使う必需品である電子レンジは、100%近くまで普及しているのに対し、乗用車、ルームエアコンは、90%程度の普及率で安定しているのは面白い。他の製品も、似たような動きをするのであろう。なお、第一、第二ステージの間は、共産主義経済圏の国も多かったため、わが国は、市場経済圏で競争相手が少なく、工業製品の強力な輸出国となれたのだという歴史的な幸運を忘れてはならない。 第三ステージのバブル崩壊以降は、衣類乾燥機、パソコン、携帯電話などの新製品のおかげで、わが国は、低いながらもプラスのGDP成長率を保っているが、共産主義経済圏だった中国や東ヨーロッパが市場に参入し、わが国の第一ステージのような状態と安い賃金を武器に、高度成長を続けて、工業化を進めている状況なのである。 (3)どのような時に、経済は高度成長をするのか 上の経済現象の分析から明らかなように、下の要因で経済成長率は高くなる。 ①何もないところに便利な製品・サービスが出現して、皆が手に入れようとする場合 ②環境重視などのパラダイム変化により、新しい製品への買い替え需要がある場合 ③安い賃金を武器にして、外国との輸出競争に勝てる場合 ④そのための新規設備投資を行う場合 ⑤教育が普及して、よい人材が豊富であるなど、その他のプラス要因がある場合 つまり、(1)(2)で明らかになることは、実需があって初めてものが売れ、市場としての魅力が生じて企業は設備投資するのであり、実需がないのに金融緩和のみを行って景気回復しようとすれば、超低金利の余剰資金が、投資すべき場所を探して株・土地に流入し、バブル経済となって、最後には、大きな犠牲を払って終焉しなければならないということである。 (4)現在の(3)①~⑤に当たるものは何か (3)の①~⑤の例を挙げると下のようになるが、日本政府は、これまで変化を捉えきれず、十分な政策を取ってこなかったばかりか、反対の政策さえとってきた。その理由は、ご想像に任せる。 ①女性の社会進出→保育・学童保育サービス、家事サービス、介護サービス、中食産業 ②人口の高齢化→介護サービス、高齢者の見守りサービス、家事サービス、中食産業 ③環境重視型新製品→太陽光発電、超伝導電線、ゼロエミッション住宅、地中熱利用、 電気自動車、燃料電池車、省エネ機器、その他の環境型製品 ④先端技術の利用→IT、ナノテクノロジー、DNA、再生医療、ロボット、宇宙開発 etc ⑤安い賃金→わが国は、中国・インド等と比較すれば10倍の賃金水準であるため、 ロボット等を使って10倍以上の効率化をするか、外国人労働者を 積極的に入れる以外、賃金による競争力はない。 ⑥①~④の実が挙がれば、新規設備投資が起こる。 ⑦教育については、「ゆとり教育(1980年~現在)」で、わが国は逆のことをしてきたが、 この間、韓国、中国、インド等は、教育に力を入れてきた。教育は、すべての基礎である から、重視すべきである。 (5)原発再稼動は、GDP成長率に不可欠な要因か、それともGDP成長率の阻害要因か GDP成長率については、消費や新規投資がなくなれば、経済は乗数効果で大きく縮小していき、上の(1)(2)(3)より、新規投資は、実物経済において皆が欲しいと思う新しい財・サービスを普及させるまでの間、生産拡大のために行われるものであることがわかる。従って、エネルギー革命を実行することこそが、今後のGDP成長率の維持・上昇に不可欠なのであり、旧来型の電力供給システムにしがみつくことこそ、GDP成長率を阻害するものである。 そして、環境と一層快適な生活を実現するために、現在、求められているエネルギー改革は、下のとおりである。 1)地熱・汐潮・太陽光・風力・天然ガス・エネファームなどの安全で環境を重視した発電 方法に切り替えると同時に、電気を主体にした安全で快適な生活を実現する。 2)それと同時に、わが国がオイルショック等で翻弄されてきたエネルギー・資源の自給率を 上げる。 3)わが国の排他的経済水域から、エネルギーや資源を早急に調達できるように開発投資して 資源国になる。 4)地域間の電力の融通や分散発電した電力の販売ができるようにするため、直流と交流の 超伝導電線などのインフラを整備し、電力会社の地域独占を排して、電気料金を下げる。 5)省エネ、自家発電を装備したゼロエミッションの快適な住宅を普及させて、快適で エコな生活を送りながら、エネルギーの自給率を上げる。 6)その他 上記は、わが国のこれまでの経済発展やGDP成長率の上昇を踏まえた解決策である。また、原発を維持して将来の電源の依存割合を人為的に決めようなどというのは、すでに歴史が無理だと結論を出した計画経済そのものである。従って、わが国に資源が豊富に存在するエネルギーで、合理的な発電を行うことを素早く決断して脱原発すべきである。決断をゆっくりすれば、太陽光発電のように、マーケットシェアと技術の両方で世界に遅れをとるのである。 なお、私は、このブログ内に具体的に多くの提案をしているが、それらは全て、わが国の経済発展やGDP成長率の上昇を踏まえた提案である。GDP成長率が上昇しさえすればよいのかまで含めて・・・。 参考: 2011.11.24 21世紀の発電・送電システムについて 2011.11.25 「グリーンインフラ構築」「排出ガスゼロ都市」 2012.1.16 クリーンエネルギー社会の船、トラック、航空機は? 2012.2.26 我が国が、資源・エネルギー自給率を高めなければならない理由 2012.4.1 普天間飛行場及びエネルギーの転換 (当初記載2012.2.29) 2012.4.14 「環境=地球温暖化のみ」という思考停止の発想をやめて、 スマートでクリーンな次世代の技術に進んでもらいたい。 2012.4.24 原発を再稼動させなければ「電力が足りない」「企業が 出て行く」というキャンペーンには、もう騙されてはならない。 2012.4.29 「(仮称)東日本三陸沿岸鉄道『希望』」は、防波堤、高度交通 インフラ、エネルギー改革、観光など、多目的のインフラを作る ことによって費用の節減を行い、“地域”も主役として参加して 行うという事例。
| 経済・雇用::2011.8~2012.9 | 11:55 AM | comments (x) | trackback (x) |
|
PAGE TOP ↑