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2012,09,22, Saturday
放射性物質の拡散に関して風向きを考慮して予測するシステム「SPEEDI」の計算結果を使わず、やるべき時にすぐ作動するベントの仕組みにもなっておらず手動でしか動かなかったことなど、原発は、事故に対する準備や対応がまともに行われておらず、住民の健康や命を軽く見ており、土壌や海、農林水産物をも大きく汚染することが、あらためて明らかになりました。何と弁解しても、「風評被害」だと言い逃れようとしても、すでに多くの人がそれを見抜いています。
そして、*1は、2012/9/22に初めて見た情報ですが、避難のために最も必要な2011年3月12日~20日という時期にそれを隠して住民に無用な被曝をさせ、罪の意識も感じていない人など、そもそも原発を扱う資格がありませんし、関東在住の人でもたまったものではありません。 そして、*2のように、新しくできた原子力規制委員会は、東電福島第1原発の周辺で観測された放射線量データを公開できず、「立ち上げ準備に注力し、発足後のことに考えが回っていなかった」などと、また「想定外」と同じレベルの弁解をしていますが、人が一人しかいないわけじゃあるまいし、これで原子力規制委員会は、一寸先のことも考えられず、東電、原子力保安院の延長であることを証明したようなものです。データを公開できないのは、公開できるような値ではないからではないですか? *1:http://www.minpo.jp/news/detail/201209223792 (福島民報 2012/9/22) ベント作業で放射能漏れか 風向き影響の可能性 福島県が20日公表した東日本大震災直後のモニタリング結果では、水素爆発を起こした東京電力福島第一原発の北側で昨年3月12日に、南側で15日に空間放射線量のピークを迎えていることが分かった。県は第一原発の水素爆発やベント作業、当時の風向きが影響したとみている。 空間放射線量が最大値だった双葉町上羽鳥の毎時1590マイクロシーベルトは、1号機が水素爆発する直前の12日午後3時に測定された。1号機では同日午前に原子炉の圧力を下げるためにベント作業が行われ、午後3時36分に水素爆発が起きた。県は「爆発前からベント作業などで放射性物質が漏れていたと考えられ、風向きが影響した可能性がある」としている。上羽鳥では13日午前零時に毎時100マイクロシーベルトを割り込んだ。一方、第一原発南側の富岡町夜の森では15日午前2時に毎時186マイクロシーベルトを記録した。各測定地点の空間放射線量は全体として、第一原発の北側で12日に上昇し、南側では15日ごろまで大きな変動がない。県は「当時の風向きなどと整合性がある」と分析している。昨年1月6日から90日間の積算線量では、原発敷地の境界を除いて大熊町夫沢中央台の150.62ミリシーベルトが最大だった。降下物の核種分析では大熊町大野で、1カ月間で一平方キロ当たり560万メガベクレル(メガは100万倍)のセシウム137が検出された。県は原発周辺の25カ所のモニタリングポストについて、震災で通信回線の断線や電源喪失、津波による流出があったため、データの回収を進めていた。今後、さらにデータを精査し、当時の事故や避難の状況と照らし合わせる作業を行う。 *2:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012092101001169.html (東京新聞 2012年9月21日) 規制委、放射線データ公開できず HP上で、発足初日から 原子力規制委員会が東京電力福島第1原発の周辺で観測された放射線量データを、発足初日の19日からホームページで公開できていないことが21日、分かった。委託業者との契約内容に問題があったためで、規制委の事務局は「これまで立ち上げ準備に注力し、発足後のことに考えが回っていなかった」と頭を抱えている。公開できていないのは原発周辺の海水に含まれる放射性物質濃度や、陸域の放射線量データで、東電と福島県がそれぞれ測定。21日午前の時点で公開されていない。
| 原発::2012.9~10 | 04:01 PM | comments (x) | trackback (x) |
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