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2013,03,07, Thursday
私は、*1の当時の報道を記憶しているが、「外国人は邪悪だ」ということを社会常識にしたいかのように、あらゆるメディアで、「このネパール人男性が犯人であり、ひどいことをした」という報道を繰り返していた。この冤罪事件で得をしたのは、①捕まらなかった犯人 ②真犯人を捕まえられなかったのに、非難されずにすんだ検察と警察 ③外国人は邪悪だと吹聴したかった人 である。そして、人生を台無しにされたのは、冤罪被害を受けたネパール人男性であり、これでは、被害者も成仏できないだろう。
*2も、前川彰司さんは、刑期を終えても主張しているのだから、無実なのだろう。そして、司法上、「心神耗弱状態」として軽い刑期にするのは、このような場合によくあることだが、医学的には「心神耗弱状態」という定義や疾病はない。つまり、これは、司法が”便利に”使っているにすぎない言葉なのである。 しかし、司法が、このような言葉を便利に使うと、社会に対し、精神障害者が殺人などの罪を犯す確率が高いかのような印象を与え、精神障害者差別を生むという弊害がある。実際には、精神障害者が殺人などの罪を犯す確率は、一般の人よりも低いと言われているにもかかわらずなのだ。 そして、この*1、*2の流れから、わが国は、司法も含めて、一人一人の人間の人権を大切にしている国ではなく、何かを守るために犠牲にしているのは、「(新興国の)外国人」「女性」「精神障害者」など、マイノリティーで発言力の弱い人たちだということがわかる。このような国での*3のような「マイナンバー法案」の導入は、本当は誰のために便利で、どう使うつもりなのかが疑われるわけだ。 最近の街灯 *1:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012103002000115.html (東京新聞 2012年10月30日) 東電女性再審 “暗黒司法”そのものだ 東京電力の女性社員殺害事件で、無罪となるネパール人男性の再審公判は、司法界の“暗黒”を物語る。検察も裁判所も過ちを検証せねばならない。真犯人の追及にも本腰で取り組むべきだ。 再審の公判で「無罪」と主張したのは、検察側だ。弁護側はずっと無実を訴えてきた。これで結審し、ネパール人男性の無罪は確実だが、もっと早く冤罪(えんざい)から救済できなかったか悔やまれる。昨年夏に被害者の体内から採取された精液のDNA型鑑定の結果が出た。男性とは別人の「X」のもので、しかも殺害現場にあった体毛の型と一致していた。この時点でも、検察は“撤退”が可能だったはずだ。ところが、今年六月に再審開始決定が出ても、検察側は異議を申し立てていた。検察が白旗を揚げる決め手になったのは、女性の爪に残っていた付着物をDNA型鑑定したところ、やはり「X」のものだったことだ。被害者と最後に接触したのは「X」である可能性が濃厚になった。爪の付着物は、被害者の激しい抵抗の痕跡かもしれない。 だが、弁護側が爪に着目して、鑑定書を求めたのは二〇〇七年である。検察は裁判所に促されても、「鑑定書はない」「爪からは何も検出されていない」などと、虚偽に近い不誠実な姿勢だった。最後まで有罪にこだわり続けた検察の態度は非難に値する。有罪を確定させた裁判所も問題だ。一審は「無罪」だった。「別人が犯行現場の部屋を使った可能性がある」「精液の入った避妊具は、事件当日に使用したと断定できない」などと、新しい鑑定技術がなくとも、男性を犯人とすることに疑いを持ったのだ。ところが、二審はわずか四カ月のスピード審理で「逆転有罪」となった。なぜ一審が下した“赤信号”を素通りし、最高裁まで追認したのか。さまざまな証拠が「X」が真犯人だと指し示しているような現在、裁判所はどのような弁解をするのだろうか。 当初からネパール人男性を犯人だと決めつけた捜査に問題があるのは間違いない。重要物証をDNA型鑑定しなかったのも致命的だ。被告人に有利な証拠も得られるよう、全面証拠開示の必要性も、この事件は訴えている。司法が「暗黒」と呼ばれないためには、他にも冤罪が潜んでいないか、早急にチェックすることだ。もはや正義に奉仕すべき司法の倫理さえ問われている。 *2:http://mainichi.jp/select/news/20130306k0000e040135000c.html (毎日新聞 2013年3月6日) 福井女子中学生殺害事件:再審開始認めず…名古屋高裁 福井市で86年に起きた女子中学生殺害事件の再審請求異議審で、名古屋高裁の志田洋裁判長は6日、殺人罪が確定した前川彰司さん(47)=懲役7年の刑期を既に終了=の裁判をやり直す「再審」開始を認めた高裁金沢支部決定(11年)に対する検察側の異議を認め、再審開始決定を取り消した。今後、前川さん側が特別抗告して審理は最高裁に移るとみられる。特別抗告期限は11日。1審の福井地裁が90年、「前川さんの知人らの目撃証言などは信用できない」として無罪とした。しかし2審の金沢支部は95年、証言の信用性を認めて逆転有罪判決を言い渡し、その後に確定。前川さんは刑務所を出た後の04年、金沢支部に再審請求した。弁護団は再審請求審で新証拠を提出した。遺体に凶器とされる被害者宅の包丁2本の幅より短い傷があることを指摘し、「真犯人が別の刃物を持ち込み、犯行後に持ち去った」と主張。また、血だらけの前川さんが乗り、血液が付着していたとの証言がある車から被害者の血液反応が出なかったことは不自然と指摘した。さらに、犯人が現場に指紋などを残しておらず、2審判決が認定した「心神耗弱状態の前川さん」では不可能な犯行であることを示しているとした。金沢支部は11年11月、新証拠の価値を認め「知人らの供述の信用性に疑問を抱かせる」「合理的で高度の思考能力を備えた犯人が実行」などと指摘して再審開始を認めた。検察側は異議審で、刺し傷について「計測で誤差が生じたり傷が縮んだりすることがある。残されていた包丁2本による傷とみて矛盾しない」と反論。血液反応についても「拭き取りやワックスがけ、太陽光により血液が変性した」と主張していた。 *3:http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201303056872.html (愛媛新聞社説 2013年3月5日) マイナンバー法案 誰の利便のための番号なのか 国民一人一人と法人に固有の番号を割り当て、納税や年金などの情報を一元管理する「マイナンバー法案」が、国会に提出された。昨秋廃案になった民主党提出案を修正し、今国会での成立と、2016年1月の利用開始を目指すという。しかし法案は、過去何度も浮かんでは消えた「共通番号制度」自体への懸念が解消されないまま、さらに利用拡大を促す内容。政府がうたう国民のメリットは極めて曖昧、過小で、デメリットに比して著しく均衡を欠き到底容認できない。国会での議論を通じて、再考を強く求めたい。政府は法案の目的として、行政事務の効率化と国民の利便性を強調する。前政権が昨年、消費増税に伴う低所得者対策に掲げた「給付つき税額控除」に共通番号が不可欠―と「大義」を言い立てたことも、推進ムードを高めた。だが当時は、自民党や公明党も「番号制度でも対象者の所得把握は難しく、ばらまきになる」と反対している。実際、把握が難しいとされる自営業者の収入や預貯金のデータなどは、番号を振っただけで把握精度が上がるわけではなく、税法改正や体制強化が当然必要になってくる。 国が、個人の所得を一手に把握し、脱税や不正受給摘発に生かしたい狙いは明らか。だが、既に番号制度がある国でも税逃れはなくならない。行政手続きは確かに簡略化できようが、それだけでは費用対効果からも納得し難い。コストは、導入費用だけで「2000億~3000億円」とは、高額な上に算出根拠が曖昧すぎる。維持費も巨額になろう。肝心の削減効果は「1000億円」との試算もあるが、何の保証もない。年約130億円を費やしながら10年間、ほとんど利用されなかった住民基本台帳ネットワークのように、無駄で未完の「IT公共事業」になる疑念が拭えない。 何より、情報流出と悪用が懸念される。法案には独立性の高い第三者機関の設置や、漏えいに関わった職員らへの罰則が盛り込まれた。むろん必要な措置だが、処罰をいかに厳しくしようとも悪意の漏えいや不正利用、ミスは決して防げず、ひとたび漏れれば取り返しはつかない。情報へのアクセス記録などを本人が確認できるシステムも構築するというが、捜査機関が収集した情報などは対象外。国家によるプライバシー侵害が警戒される中、個人の側の知る権利を狭める制度に信は置けない。情報システムは結局、活用しなければ元が取れず、活用のために民間などに利用範囲を拡大すれば危険が飛躍的に増大する。「マイナンバー」とは、誰の利便のための番号なのか。あらためて制度の根幹と必要性を問い直したい。
| 民主主義・選挙・その他::2013.1~11 | 05:57 PM | comments (x) | trackback (x) |
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