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2013,03,16, Saturday
「さくら咲く」の電報は、公正でなければ意味がないし、国益にもならない。 (1)センター試験の効力と東大の第2次学力試験の意味 現在の東大入学試験は、「学力試験(大学入試センター試験及び第2次学力試験)及び調査書による。入学志願者が各科類の募集人員に対する倍率に達した場合は、大学入試センター試験の成績により第1段階選抜を行い,その合格者に対して第2次学力試験を行う(http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/e01_02_01_j.html参照)」とされているので、*1のように、「東大が2次試験の後期日程を廃止し、新たに筆記試験を課さずに面接や内申書だけで合否を判断する一般推薦入試の導入に向けた検討を進める」ということは、この人たちの学力はセンター試験だけで測られることになる。 しかし、センター試験は、大学進学希望者全員の学力を測るために作られているため、東大への入学を希望する生徒の正規分布上での位置は、だいたい3σより右側で、殆どの生徒が95点~100点をとっている状態であるため、センター試験のみで合格者を決めれば、たまたまのミスが合否に大きく影響し、正しく学力のある生徒を選別することはできない。 これに対し、東大の第2次学力試験は、覚えただけでは答えられないものが多く、東大への入学希望者が正規分布に近くなるように作られた試験であるため、東大入試として必須であり、今後、地方分権を進めたいのであれば、それぞれの地域のリーダーを育てるべき旧帝大は、同様にした方がよいと、私は思っている。 (2)推薦入学及び調査書の弊害 (1)のように書くと、必ず「大切なのは学力だけではない」という反論があり、推薦入学や調査書による合否の判定が行われるようになった。しかし、これは、教師や権力の顔色を覗うことには長けているが、筋の通った反骨精神がない人間を作るのに貢献したという弊害がある。 なぜなら、推薦する立場の高校教諭は、殆どが普通の人であるため、*2や*3のような生徒に高い評価をつけることはできないからである。むしろ、「かわった子(空気が読めない、奇人変人など)」「(動物とばかりつきあっており)人間とのコミュニケーション能力に欠ける子」「(次世代の常識を作る人であるにもかかわらず)常識のない子」「(落ちこぼれではなく、飛び上がりであるにもかかわらず)発達障害の子」などと評価される可能性がある。ファーブルは、生前は、祖国フランス全体ですらあまり理解されなかったし、コンラート・ローレンツは行動学を打ち立て、DNAと進化の仕組みを解明しているのだが、今でも、理解しない人が多い。 しかし、日本の東大は、このような天才や秀才を間違いなく拾って、勉強や研究をする機会を与えなければならない。そのためには、「一般人のその時代の常識」に左右される推薦や調査書とは関係なく、学力だけで公正に選別するのが、最も公平で間違いないと考える。これは、次の時代の常識を作り出すリーダーを輩出しなければならない大学の使命である。 *1:http://www.saga-s.co.jp/news/global/corenews.0.2417989.article.html (佐賀新聞 2013年3月13日) 東大が推薦入試導入へ / 後期を廃止、面接と内申 東大が2次試験の後期日程を廃止し、新たに筆記試験を課さずに面接や内申書で合否を判断する一般推薦入試の導入に向けた検討を進めていることが12日、東大関係者の話で分かった。5年以内の導入を目指す。戦後に現在の学制となってから、推薦入試の導入は初めてという。「知識偏重」と言われ、受験生の多様な能力を測れないとされる現行の入試方式を改革するのが狙い。「ペーパーテストの点数だけでなく、学生の主体性や意欲の評価も入試に反映させたい」(東大幹部)としている。 *2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB (ファーブル) (ポイント)南フランスのアヴェロン県にある寒村サン・レオンに生まれ、3歳のとき山村にある祖父母の元に預けられ、大自然に囲まれて育った。父の家業が失敗し、14歳で学校を中退するが、師範学校を出て中学の教師になり、物理学、化学の普及書を著した。コルシカ島、アヴィニョンを経てセリニアンで安住し様々な昆虫の観察を行い、それらをまとめて発表したのが『昆虫記』である。ファーブルが生きていた当時、彼の業績は祖国フランスではあまり理解されなかった。しかしその後『昆虫記』は世界中で翻訳されて注目を浴び、文章の魅力もあいまって業績が評価されていった。ファーブルの開拓した行動学的研究は、その後フランスよりもカール・フォン・フリッシュやコンラート・ローレンツのようなドイツ語圏、あるいはニコ・ティンバーゲンのようなオランダ語圏の研究者に継承されて発展を遂げることになり、また古くからの昆虫愛好文化をもつ日本で広く愛読され、昆虫学の普及に役立った。 *3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84 (コンラート・ローレンツ) (ポイント)ローレンツの最も大きな功績は、動物行動の観察という当時は軽視されていた古典的な手法を厳密に用い、科学の名に値するものに仕立てたことである。生理学・解剖学などからはわからない、動物の行動を直接研究する分野が生まれることになった。その中で特に有名なのはニシコクマルガラスやハイイロガンの観察研究である。自ら様々な動物を飼育し、解剖したり傷つけたりするような実験は好まなかった。刷り込み現象の発見は、自らのハイイロガンの雛に母親と間違われた体験に端を発したものである。
| 教育・研究開発::2012.4~2013.10 | 11:47 AM | comments (x) | trackback (x) |
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