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2016.8.22 天皇の地位、女性天皇・女系天皇、女性宮家について (2016年8月23日追加)
    
 憲法と皇室典範  皇位継承順位    天皇の国事行為例          現在の皇居
                    2016.8.9日経新聞

(1)高齢になられた象徴天皇の生前退位について
 *1のように、天皇陛下が2016年8月8日、「日本国憲法で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を模索しながら過ごして来た」「天皇が象徴であると同時に国民統合の象徴としての役割を果たすには、遠隔地や島々への旅も大切で、80歳を越えて身体の衰えを考慮する時、象徴の務めを果たしていくことが困難」「象徴としての行為を限りなく縮小していくことは無理がある」「天皇の行為を代行する摂政を置いても天皇が務めを果たせぬまま生涯を終えるまで天皇であり続けることに変わりはない」「天皇の終焉に当たっては重い殯(もがり)の行事が2ケ月にわたって続き、その後に喪儀に関連する行事が1年続き、新時代に関わる諸行事も同時に進行するため、行事に関わる人々は非常に厳しい状況に置かれる」などを、象徴天皇が高齢となった場合の生前退位の意向にじませながら、国民に語りかけられた。

 しかし、*2-1、*2-3のように、「①一般論として生前退位の是非を論じることと、今回の天皇のメッセージを受けて議論することとは異なる」「②これが発端となって制度改正の議論が動き出せば、天皇の意思が政治に介在したと指摘せざるを得ない」「③退位を希望する理由が年齢による公務負担の重さなら減らせばよい」「④天皇は極端に言えば国事行為だけしていれば問題ない」「⑤天皇の意思による退位を認めると前天皇の残像が消えずに新天皇の存在がかすんでしまう」「⑥今回のメッセージを受けて中長期的な視点で象徴天皇制のあり方を議論すべきだ」という真正面からの反対論もあった。

 私は、①については、議論が始まらなかったから天皇がメッセージを出されたのであるため不可能な要求であり、②については「天皇は国政に関する権能を有しない」という日本国憲法4条の規定は、天皇が太平洋戦争のような戦争開始に利用されたり(大日本帝国憲法は「天皇は陸海軍を統帥す」と規定しており、統帥権が天皇の権能であったため首相や政府は軍の決定に反対できなかったと言われている)、どういう政策を行うかを天皇が承認したりすることを禁止しているのであって、今回のように単に皇室のあり方について象徴天皇として自らやってきて合理的と思うことを話されたものまで憲法違反だとするのは「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」論理だと考える。そのため、*2-2のように、国民の86%が天皇の生前退位を素直に認め、恒久的な制度を求める意見が大半を占めたのだ。

 さらに、③④についても、天皇自身が話されているとおり、十分に活動できない天皇がそのまま天皇でいるよりも、皇嗣に譲位して皇嗣も35~45歳くらいまでに天皇に即位した方が何かと都合がよいのだ。そのためには皇室典範4条を「天皇が崩じた時もしくは75歳を超えて自ら退位を決意した時は、皇嗣が直ちに卽位する」と変えれば、政治的介入で天皇が譲位を余儀なくされることはなく、⑤の前天皇の残像が消えずに新天皇の存在がかすむこともないだろう。また、奈良時代や平安時代と違って天皇に政治的権力がない現在、政治的介入を行って天皇に譲位を迫る理由もないと思われる。

(2)女性天皇・女系天皇について
 *3-1、*3-2に、生前退位を認める際には、天皇の退位後の身分や皇太子に代わる新たな規定の創設などが論点に浮上したと書かれているが、活動が容易ならざる高齢になって生前退位された天皇は、「上皇」「太上天皇」などとして権威の存在を紛らわしくするより、「前天皇」の方がよいと考える。そして、新年祝賀の儀や新年の皇居一般参賀には、高齢で思うように活動できないため退位するのだから、前天皇・皇后は出席しなくてもよいし、出席しても現天皇よりは端に並ぶべきだろう。そして、前天皇・皇后の公務は完全になくし、やりたいことだけをやればよいと考える。

 また、天皇のお住まいは、歴史的経緯から現在は旧江戸城だが、旧江戸城は博物館・美術館として復元・整備し、江戸・明治・大正・昭和・平成時代の価値ある物を展示して、地下には大駐車場を作るのがよいと考える。そのため、京都御所、赤坂御所、その他の御所を、住居、執務室、迎賓館などとしてリニューアルしてはどうだろうか。

 なお、*3-1、*3-3に、皇室典範第8条に「皇嗣たる皇子を皇太子という」という定めがあり、皇嗣となるのは現行制度では直系男子に限られており、皇位継承順位の2位は秋篠宮さまであるため、「皇太弟」といった地位を新設する必要が言われている。

 しかし、私は、皇室典範第8条の「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を変更し、英国と同様、「皇位は皇統に属する長子が、これを継承する」として、男子優先ではなく女性・女系天皇を認めるのが現代の象徴としてあるべき姿だと考える。何故なら、現代の医学では、女性・女系天皇でも遺伝子の存続には全く問題のないことがわかっており、それでもなお天皇は男子のみと規定するのは女性差別にすぎず、*3-4のように、国連女性差別撤廃委員会も皇室典範の見直しを要求しているからだ。

(3)女性宮家について
 *3-3に、女性皇族が結婚後も皇室に留まる女性宮家の創設を検討した経緯があるそうだが、女性宮家として国家予算を割く以上、誰と結婚しても、どこに嫁に行っても女性宮家と認めるわけにはいかないだろう。そのため、私は、民法の規定を応用して、婿養子形式で結婚し、自らも公務をこなし、いざという時には子が天皇になりうる場合にのみ、女性宮家として遇すればよいと考える。

<天皇のお言葉>
*1:http://digital.asahi.com/articles/DA3S12502982.html (朝日新聞 2016年8月9日) 象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉 (8月8日宮内庁発表全文)
 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。

<生前退位について>
*2-1:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160809&ng=DGKKASDG04HDE_Y6A800C1EA1000 (日経新聞 2016.8.9) 憲法制約「個人として」 宮内庁、思いを尊重
 宮内庁が8日公表したビデオメッセージで天皇陛下が強く示唆した「生前退位」の意向は、以前から陛下が周囲に漏らされていた。だが、天皇の言動は憲法で厳しく制限されており、同庁によると首相官邸も慎重姿勢をとり続けたとされる。陛下がお気持ちを広く国民に語りかける異例の形式に踏み切った背景には、自身の強い意志があった。「議論を前に進めるには、陛下にお気持ちを公に示していただくしかなかった」。ある宮内庁関係者は明かす。陛下は5年ほど前から「象徴天皇として公務を全うできないのなら、皇位を譲るべきだ」との考えを周囲に示されていたとされる。昨年12月の誕生日の記者会見では「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と吐露。この時点で陛下は生前退位に関する自らの考えを表明すべきだとする意向を宮内庁幹部に伝えられていた。同庁関係者によると、陛下の考えは水面下で官邸に伝えられていたとされる。だが皇室典範に退位に関する規定はなく、実現には法整備が必要。象徴天皇のあり方や、かつて世論が割れた女性・女系天皇問題にも拡散しかねず官邸も簡単には動けなかったとみられる。最大の関門は「天皇は国政に関する権能を有しない」とする憲法4条の規定だった。陛下の意向表明が制度改正に直結すれば抵触しかねない。時間だけが過ぎる中で、陛下は自らの思いを強められたとみられる。局面が変わったのは7月13日。報道各社が一斉に「天皇、生前退位の意向」と報じた。宮内庁は公式には報道を否定したが、同庁関係者によると、水面下で官邸側と調整を本格化させた。「政治が動かないから陛下が動くしかない」「『こういう制度にしてくれ』ではなく、陛下が考えておられることの表明だけなら違憲にはならない」。宮内庁関係者の口からは、覚悟をにじませる言葉が出始めた。この間の陛下のご様子について、関係者は「公務がつらいから早期の退位を望まれているのではない。ただ、すぐに退位するとの誤解も少なくなく、国民の反応を気にされていた」と振り返る。宮内庁は風岡典之長官らが陛下のお気持ちを代弁したり、文書だけを配布したりする方法も検討した。だが最終的には「国民に正確に気持ちを伝えたいという陛下の思いに反対する幹部はいなかった」(同庁幹部)。自身の肉声を発信するビデオメッセージ形式が決まった。陛下は1週間以上前からお言葉を準備し、ギリギリまで推敲(すいこう)を重ねられた。ある宮内庁幹部は「お気持ちが強くにじみ出た内容になった。あとは国民がどう考えるかだ」と話した。

*2-2:http://www.saga-s.co.jp/news/national/10201/342862
(佐賀新聞 2016年8月9日) 天皇の生前退位、86%容認、世論調査、法整備「慎重に」4割
 天皇陛下が8日のビデオメッセージで生前退位の実現に強い思いを示されたことを受け、共同通信は緊急の電話世論調査を実施し、86・6%が天皇の生前退位を「できるようにした方がよい」と容認していることが9日、明らかになった。退位を可能とするには皇室典範の改正など法整備が必要だが、今後の議論の進め方については慎重派が4割を超え、現天皇一代に限らず、恒久的な制度設計を求める意見が大半を占めた。調査は8、9両日、全国の有権者を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話するRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法で実施した。

*2-3:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160809&ng=DGKKZO05843320Z00C16A8EA1000 (日経新聞 2016.8.9) 政治に介在、懸念残る 九州大名誉教授(憲法) 横田耕一氏
 一般論として生前退位の是非を論じることと、今回の天皇のメッセージを受けて議論することは異なる。前者なら賛成だが、後者は天皇への同情が前提にあり、冷静な議論にならない。今回「生前退位」という言葉こそ出ていないが、既にその流れで世論が形成されてしまっている。宮内庁は、天皇の「お気持ち」が憲法で禁じている政治的行為とならないよう文言に細心の注意を払ったと思う。だが結局、これが発端となり制度改正の議論が動き出せば、天皇の意思が政治に介在したと指摘せざるを得ない。今回はあくまで私的な意見と受け止め、制度をどう考えるかは白紙の状態から考える必要がある。もし退位を希望する理由が年齢による公務負担の重さなのであれば、減らせばよい。メッセージからは、天皇は憲法が定めた国事行為以外にも積極的に何かをしなければと考えているように受け止められるが、極端に言えば、国事行為だけをしていれば問題ない。今の天皇なら国民の理解は得られるはずだ。また天皇の意思による退位を認めると、象徴としての前天皇の残像が消えずに新天皇の存在がかすんでしまい、天皇の地位が揺らぎかねない。今回のメッセージを受けて、中長期的な視点で象徴天皇制のあり方を議論すべきだ。

<女性天皇について>
*3-1:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160809&ng=DGKKZO05843410Z00C16A8PP8000 (日経新聞 2016.8.9) 生前退位 論点は多く、政治利用防止や前天皇の身分、「皇太弟」新設…
 天皇陛下が強く示唆された「生前退位」を実現するには皇室典範改正か、新法の制定が必要となる。過去の国会審議などで、生前退位を認める際の具体的な要件や天皇の退位後の身分、さらに「皇太子」に代わる新たな規定の創設などが論点に浮上している。政府は従来、天皇自らの退位を想定しておらず、すべての問題を克服するには国民的な議論が必要となる。最も大きな課題となりそうなのは、どのような場合に生前退位が認められるかという点だ。憲法に抵触しない範囲での天皇の意思表示のあり方や、天皇の自由意思に基づかない「退位の強制」を防ぐ手立てが不可欠となる。譲位による皇位継承が多かった奈良時代や平安時代には「現天皇」と「前天皇」の2つの権威が存立し、政争になった歴史がある。退位時期を誰が決めるかも問題だ。皇室典範第28条で規定する「皇室会議」で決める方法も考えられるが、メンバーに首相ら政治家を含むため、生前退位が政治利用される恐れが出てくる。一方、天皇が恣意的に退位できるようになれば天皇の地位の安定性を損なうとの指摘もあり、議論は難航が予想される。生前退位した天皇陛下の身分や称号はどう規定するか。歴史上存在した「上皇」のような立場を設ければ、現役の天皇と並行して権威を持ち続ける懸念がある。陛下は8日のビデオメッセージで「天皇の終焉(しゅうえん)」に際しての行事に言及したが、退位後の天皇が逝去された場合の祭礼の取り扱いなども検討する必要がある。皇太子の規定にも見直しの余地が出てくる。皇室典範第8条は「皇嗣(こうし)たる皇子を皇太子という」と定めており、皇嗣となるのは現行制度では直系の男子に限られているからだ。皇太子さまが即位された場合、皇位継承順位1位は弟の秋篠宮さまになる。皇太子ご夫妻には男子がいないため次の皇太子が不在となる。皇太子さまが担われてきた公務などを秋篠宮さまが果たす場合、「皇太弟」といった地位を新設することも想定される。皇室典範改正により、天皇陛下が生前退位された場合、元号も変わる。1979年に制定した元号法で「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と一世一元制を定めているためだ。同法は元号を政令で定めるとしているが、具体的な方法は決まっていない。昭和から平成への改元の際は、昭和天皇の在位中に歴史学者や国学者らが原案を考案したことが明らかになっている。政府が「元号に関する懇談会」を開き、衆参両院の正副議長、閣議などを経て新元号を正式に決めた。生前退位の実現に向けた議論が進展するにつれ、新元号に関する検討も進む可能性がある。

*3-2:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160809&ng=DGKKZO05829760Y6A800C1M13700 (日経新聞 2016.8.9) 「退位後」制度は白紙、皇室内での序列は 元号はいつ変わる 公務どうすみ分け
 天皇陛下が8日、国民に向け、象徴天皇のあり方についての「お気持ち」を述べられた。象徴としての活動あっての天皇であり、それができなくなったときは、その地位にあるべきではないとの思いがにじみ出ていた。天皇の退位は国会で何度も論じられてきたが、政府は「できない」との姿勢を示してきた。それゆえ、退位後の制度準備などは白紙で、実現した場合は想定外の事案が続出するとみられる。
●「天皇の父」の呼称は?
 歴史上、退位した天皇は太上天皇(だいじょうてんのう)と呼ばれた。697年に持統天皇が称したのが始まりとされている。その後、譲位した天皇は上皇、仏門に入った場合は法皇と呼ばれた。皇室典範には天皇の母の皇太后、祖母の太皇太后の規定はあるが、退位を想定していないため、天皇の父や祖父の呼称が記載されていない。過去に問題になったのは上下関係。形式的には天皇が最高位であり、前天皇といえどもその下になるが、尊属である上皇が実権を握り、天皇の権力が空洞化した院政時代もあった。天皇に政治的権力のない現憲法下では院政のような弊害は考えられないが、新天皇よりも国民から長年敬愛されてきた前天皇に親しみの情が集まる「象徴の院政化」もありえる。また、新年祝賀の儀のような儀式、国民になじみのある天皇誕生日、新年の皇居一般参賀に前天皇・皇后がどのような序列で並ぶのかという問題もある。
●元号と退位の時期は?
 元号法は「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」とだけ定めている。皇位の継承があった場合なので、退位・譲位があった時点で元号が変わることになる。戦前と現在の皇室典範ともに天皇の死去とともに皇位継承が行われることになっているため、元号もその日に変わった。大正天皇は12月25日に亡くなったので、昭和元年は1週間足らずしかなかった。このような混乱を避けるため、一世一元制だった中国では皇帝死去後、翌年初めから改元する「踰年(ゆねん)改元」が行われ、日本でも古代にはそれに倣った例もあった。退位・譲位が可能になれば、切りのいい1月1日に実施ということになるかもしれない。
●公務は完全になくなるのか?
 天皇陛下は81歳の1年間で憲法に定められた国事行為として内閣総理大臣の親任式や国務大臣など136人の認証官任命式、新任外国大使26人の信任状捧呈式、大綬章・文化勲章の親授式に臨まれた。また、内閣から上奏のあった1060件の書類に署名・押印。これらの国事行為はすべて次の天皇に引き継がれる。ただ、公務には憲法に明記されていない「公的行為」もある。地方・外国訪問や外国要人との会見、歌会始、園遊会などの行事参加、音楽、演劇、美術鑑賞も含まれる。これらは前天皇が引き続き行うことが可能で、天皇との「すみ分け」が必要になる。
●住まいは?
 天皇陛下は1989年の即位後、現在の御所が完成するまで約5年間、かつての東宮御所だった赤坂御所から皇居に「通勤」されていた。退位した後の住居が現在のままだと、次の天皇の皇太子さまも同様のことになるが、新たな御所を建設するのは経済的に非効率との批判を受けかねない。皇居外といっても、警備上の問題もあり、前天皇にふさわしい場所や既成の建物があるかどうか。皇居の御所と赤坂の東宮御所に入れ替わって住むという「奇策」も考えられる。
●皇室関係予算は?
 皇室費は天皇のほか皇后、皇太子家の日常の費用などの「内廷費」と天皇、皇族の公的活動などにあてられる「宮廷費」、皇族のための「皇族費」に分けられる。2016年度の内廷費は3億2400万円。皇太后は内廷皇族に含まれるため、退位した天皇も同様に内廷皇族となり、諸費用は内廷費でまかなわれることになるのか。しかし、天皇は特別の存在として皇族ではないとされているため、前天皇には別枠の名目の予算が組まれることも考えられる。また、現在の皇太子さまが天皇になると、皇太子が不在となり、内廷費の皇太子家の費用が不用となる。次の皇位継承者の秋篠宮さまを「皇太弟」として内廷皇族とし、経費を内廷費から支出するという可能性もある。
●葬儀はどうなる?
 宮内庁は2013年、天皇、皇后両陛下の意向を受けて、火葬や陵の縮小など葬儀の見直しと簡素化を発表した。とはいえ、天皇としての葬儀は明治以降の前例を踏襲した大規模なものだ。退位して天皇ではなくなった場合、同様の葬儀でよいのかという議論が出てくるかもしれない。古代の皇室には薄葬の思想があり、近世までほとんどの天皇の葬儀は質素なものだった。これは譲位が常態化し、「現役」の天皇の葬儀ではなかったためでもある。

*3-3:http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160809&ng=DGKKZO05843750Z00C16A8EA2000 (日経新聞 2016.8.9)皇室制度、議論どこまで 政府、女性・女系天皇も論点に
 天皇陛下が「生前退位」の意向を強く示唆されたビデオメッセージ公表を受け、政府は世論の動向を慎重に見極めながら検討に着手する。有識者会議での検討が有力だが、女性・女系天皇の容認など過去に議論された皇室制度全般に議論を広げるかどうかも焦点となる。憲法が定める象徴天皇制のあり方とも絡む問題で、秋の臨時国会から想定される憲法改正論議に影響する可能性もある。政府は報道各社の調査などで世論の動向を把握しつつ、有識者の意見を踏まえて具体的な論点を詰める方針だ。有識者の人選に加え、どのような方法で議論を進めていくかがカギを握る。小泉内閣では学識経験者ら10人による有識者会議を設け、約10カ月かけて報告書をまとめた。今回も会議を設置する案が有力だが、野田内閣のように会議体とせず、有識者から個別に意見を聴く方式も考えられる。いずれの方式も人選が重要で、政府は「方向性ありきの議論にならないよう」(首相周辺)、幅広い分野から適任者を探す方針だ。有識者会議での議論の対象を生前退位に絞るかどうかも焦点だ。かねて課題となってきた皇位継承問題とも深く関わるためだ。過去には皇位を継ぐ「男系男子」が細る現状を踏まえ、2005年の小泉内閣で女性・女系天皇の容認を、12年の野田内閣では女性皇族が結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設を検討した経緯がある。安倍晋三首相も男系男子の皇族による安定的な皇位継承を実現するため、旧宮家の皇籍復帰や旧皇族男子による宮家の継承には積極的とされる。いずれも実現には至っておらず、生前退位の検討をきっかけにこうした皇室制度に関する過去の議論が再燃する可能性もある。政府内には論点を絞り込みたいとの声もあるが、政府高官は「色々な論点が複雑に絡み合う問題で一筋縄ではいかない」と指摘する。検討のスケジュールも焦点となる。陛下が国民に直接お気持ちを表明するという異例の展開に、与党内からは「政府が対応を急ぐべきだ」との声が上がった。ただ陛下のお気持ちを受けて政府がすぐに具体的な対応に着手すれば、天皇の政治的言動を禁じた憲法に抵触する恐れがある。政府高官は8日夜「この件は時間をかける」と語った。現行の皇室典範には生前退位の規定がなく、実現には皇室典範の改正か新法で対応するしかない。最も大きな課題となるのは「天皇は日本国民統合の象徴」と定めた憲法との関係だ。天皇の地位を「日本国民の総意に基づく」と規定しており、専門家からは「自発的な退位は憲法になじまない」との声も上がる。政府関係者は「突き詰めると憲法論議に発展しかねない」と指摘する。

*3-4:http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/3/13005.html (ハザードラボ 2016年3月9日) 「天皇は男子のみ」は“女性差別” 国連委が皇室典範の見直しを要求
「男系男子による皇位継承」を定めた日本の皇室典範について、国連の女性差別撤廃委員会が先週末、「女性差別にあたる」として見直しを求めていたことが明らかになった。菅義偉官房長官は9日の会見で「国連日本代表部の反論によって最終報告書で記述が削除された」と述べた。菅官房長官によると、国連女性差別撤廃委員会は4日、スイス・ジュネーブの国連事務局で、日本政府への審査を実施した際、皇室典範が女性天皇を認めていないことに懸念を示し、見直すよう要請した。政府はジュネーブの日本政府代表部を通じて、▽これまでの審査過程で一切取り上げることなく、最終見解案で唐突に盛り込まれるのは手続き上の問題がある、▽皇室制度や諸外国の王室制度にはそれぞれの国の歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得ているなどと説明し、「そもそも皇位継承のあり方は女性に対する差別を目的にしていないことは明らかだ」と反論し、記述の削除を求めた。菅官房長官は9日の会見で「国家の基本的事項に関わる皇位継承について政府は、男系男子が継承する歴史の重みを受け止めながら、国民のさまざまな議論を踏まえながら、将来的には“女性天皇”についても検討する必要がある」ことを認めた。


PS(2016年8月23日追加):*4のように、天皇が自ら「天皇は元首ではなく、国民に寄り添う象徴である」と明言されたことは、天皇を元首にしたいとする自民党憲法改正草案への「お諫め」になってよかったと、私も思う。

*4:http://mainichi.jp/sunday/articles/20160822/org/00m/070/009000d
(サンデー毎日 2016年8月23日) 日本会議と戦う!?「度胸の天皇陛下」がついに決意された
 畏れ多いことながら“ある事件”以来、「今上天皇は度胸で誰にも負けない!」と思うようになった。「ある事件」とは……2004年の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話した時のことだ。これを聞いた天皇は(いつもと同じように和やかではあったが)、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられた。米長さんは「もちろん、そう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えるしかなかった。天皇が国旗・国歌問題に言及するとは意外だった。宮内庁次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとした上で「陛下の趣旨は自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明した。しかし、「日の丸・君が代」を巡っては長い間、教育現場で対立が続いていた。とすれば、この天皇発言は「政治」に踏み込んだ、と見なされても仕方ない。それを十分認識されていながら天皇はサラリと「国旗観・国歌観」を披露された。畏れ多いことだが「天皇は度胸がある!」と舌を巻いた。
    ×  ×  ×
 ビデオメッセージ「生前退位のお気持ち」を聞いた時、多くの人が「第2の人間宣言」と思ったのではないか。昭和天皇は1946年1月1日の詔書で「天皇の神格」を否定された。天皇を現人神(あらひとがみ)とし、それを根拠に日本民族が他民族より優越すると説く観念を否定する!と宣言した。「人間天皇」である。今回のメッセージは「個人として」「常に国民と共にある自覚」「残される家族」―との文言が並ぶ。私的な側面、換言すれば「個人」の思いを前面に出された。だから「第2の人間宣言」と見る向きも多い。しかし、それだけではない。天皇は(政治家も、学者も、国民も避けて通って来た)「象徴天皇とは」に言及された。これはびっくりするほど「度胸ある論陣」だった。
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 「その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」。「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」。「象徴天皇」とは「国民に寄り添うこと」である。全身全霊で「日本国憲法」に従い、国民を守ってきたという自負。天皇は「護憲の立場」を度胸よく明確にされた。
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 ところが、世の中は「天皇の護憲意思」と逆の方向に動いている。2012年4月に発表された「自民党憲法草案」は第1条に「天皇は、日本国の元首」と明記。現行憲法第99条には「天皇又は摂政」は憲法尊重擁護の義務を負う旨の言葉はあるが、自民党憲法草案第102条は「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と書いてある。「天皇又は摂政」の文字はない。憲法が国民を守るのではなく、国民が憲法に従う。天皇は違和感を持たれたのでは……。先の大戦への反省の上、現憲法が大事にする「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」の柱がいつの間にか消えている。
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 与党が参院選で圧勝した3日後、憲法改正論議が始まろうとした矢先の7月13日、「天皇に生前退位の意向がある」とNHKニュースが報じた。このタイミングに「天皇の度胸」を感じる。天皇の「本当の狙い」を推測することをお許し願いたい。天皇は国民に対して「天皇は元首ではない。国民に寄り添う象徴である!」と明言された。安倍首相は困惑した。「国民に向けご発言されたことを重く受け止める」と1分にも満たない原稿を棒読みすると、記者団の前からそそくさと去って行ってしまった。この素っ気ない対応の裏には、このメッセージが安倍内閣に対するものと、政権を支える「日本会議」への「お諫(いさ)め」であることを知っているからではないか。大日本帝国憲法を復活させ天皇を元首にしたい日本会議からすれば、生前退位は絶対に認められないはずだ。“万世一系の天皇”という神話的な「地位」から、加齢などを理由に退職できる「職位」になってしまうからだ。天皇と日本会議の緊張関係。我々は時が経(た)つと、天皇の「お気持ち」が日本会議への「お諫め」であったことに気づくはずだ。

| 皇位継承 | 08:17 PM | comments (x) | trackback (x) |

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